お茶をくださる真黒な手で

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Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

−山頭火の一句− 昭和5年の行乞記、9月30日の稿に

9月29日、晴、宿は同前-宮崎市.京屋-
気持ちよく起きて障子を開けると、今、太陽の昇るところである、文字通りに「日と共に起き」たのである、或は雨かと気遣つてゐたのに、まことに秋空一碧、身心のすがすかしさは何ともいへない、食後ゆつくりして9時から3時まで遊楽地を行乞、明日はいよいよ都会を去つて山水の間に入らふと思ふ、知人俳友にハガキを書く。-略-

両手が急に黒くなつた、毎日鉄鉢をささげてゐるので、秋日に焼けたのである、流浪者の全身、特に顔面は誰でも日に焼けて黒い、日に焼けると同時に、世間の風に焼けるのである、黒いのはよい、濁つてはかなはない。
行乞中、しばしば自分は供養をうけるに値しないことを感ぜざるをえない場合がある、昨日も今日もあつた、早く通り過ぎるやうにする、貧しい家から全財産の何分の一かと思はれるほど米を与へられるとき、或はなるたけ立たないやうにする仕事場などで、主人がわざわざ働く手を休ませて蟇口を探つて銅貨の一二枚を鉄鉢に投げ入れてくれるとき。‥ -略-

―四方のたより― 今日のYou Tube-vol.9-
「Reding –赤する-」終幕のScene.7

―表象の森― 「群島−世界論」-17-

サンタ・マリア-Santa Maria-、この地名をもつ土地だけを世界地図の上で点で示した地図があったとしよう。白地図の上に落とされた点の固有の密度と特異な地理的偏差の絵柄に、誰でもきっと眼を奪われるにちがいない。規範的な世界地図の見慣れた大陸と島々の構図を突き破って、一つの地名が描き出す未知の群島がそこに出現するからである。

「聖マリア」を意味するこの言葉のラテン的出自に対応して、スペイン・ポルトガルにはSanta Mariaなる地名が数多く点在する。だがそこから世界へ向けてのこの地名の拡がりには眼を見張るものがある。まずイベリア半島から大西洋上に千数百キロ沖に出れば、かつて捕鯨基地として沸いたポルトガル領アソーレス諸島の最南端に浮かぶサンタ・マリア島がある。ついで同じ大西洋上の西アフリカ沖、奴隷交易の中継地だったカーボ・ヴェルデ群島を構成するサル島の港サンタ・マリア。ついで大西洋を渡りきって中南米に眼を移せば、北はメキシコから、コロンビア、アルゼンチン、そしてブラジルに至るまで、聖マリアの名に因む町や村はそれぞれの国内におびただしく散在し、それが持つ歴史的願意をさまざまに分泌する。そして驚くべき反響は太平洋海域にまで達し、フィリピン群島各地にもSanta Mariaを名のる大きな町だけで8ヶ所、さらにはメラネシア、ヴァヌアツ共和国北端のバンクス諸島にあるガウア火山島もまた別名をサンタ・マリア島という。そして最後に、ガラパゴス群島において最初に拓かれたチャールズ島も、そのスペイン語名をサンタ・マリア島というのであった。

このSanta Mariaの群島は、その名辞の胚胎するコロニアルな記号としての含意と隠喩によって、近代植民地主義の一つの写し絵となる。歴史を群島のVisionによって転位する可能性は、まさにこうした歴史的名辞の偶然でアイロニーに満ちた飛躍的連接を「いま」に召還する想像力にかかっている。
 -今福龍太「群島−世界論」/17.痛苦の規範/より

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