鯲汁わかい者よりよくなりて

Santouka081130064

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―表象の森― した、した、した‥

彼の人の眠りは、徐-シヅ-かに覚めていった。
真っ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでいるなかに、眼のあいてくるのを覚えたのである。
した、した、した‥、耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。ただ、凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れてくる。

いわずと知れた折口信夫の「死者の書」、その冒頭部分である。初出は1939-昭和14-年、当時の総合誌「日本評論」だというから、もう70年が経つ。

私が本書に想を得て、「大津皇子―百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや」あるいは「大津皇子−鎮魂と飛翔」と二度にわたって、劇的舞踊として舞台化したのは’82年の秋、そして翌年の春であったから、四半世紀あまりを経て、あらためて本格的に挑んでみたいものと、まるで胸中深く眠っていたかのごとき熾火が、このところその姿を顕しはじめている感があるのだ。

このたびのDANCE CAFÉ「出遊-天河織女篇-」では、いわばその端緒をひらくそのまた掛かりを、といった態ほどにしかならないだろうが、まずはひと振り試しておこうと思っている。乞ご期待、というには烏滸がましいに過ぎようが、まあ観てやって戴ければと、これは前口上。

―四方のたより― 今日のYou Tube

品はかわって今日からは「山頭火」シリーズ、昨秋の、九条MULASIAでの舞台記録から。
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.1

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

空豆の巻」−13

   家のながれたあとを見に行  
  鯲汁わかい者よりよくなりて  芭蕉

次男曰く、早起老人の弥次馬根性と見定め、行ってみたら家は流されて代りに鯲-ドジョウ-がたくさん取れたと付けている。むろん、前句の起情を受けて、きれいさっぱり流された後に始まるのは精気を養う新しい工夫だ、という観相の含みがある。浮舟入水も当世風にもじれば、ここまで滑稽咄に持込める。薫=俳諧師が考えついた宇治十帖余聞だ。

どじょう汁のことは「守貞漫稿」-嘉永年間成-に詳しく誌し、文化・文政頃から三都で大いに嗜好されたらしい。季語としては、青藍の「栞草」にもまだ見えず雑の詞だが-今は夏季-、出水を五月川と見究めた付だろう。因みに「夢の浮橋」も蛍の頃であるから辻褄が合う。

「よくなりて」とは文字とおりとも読めぬことはないが、「わかい者より」とあるからここは、飲食が進む意味だろう。もともと酒について用いられる上方ことばで、酒のなる口-なる、なる口だけでも遣う-といえば上戸とか酒の手があがることである。「よくたべて」でもよいところを「よくなりて」としたのは、「炭俵」時期特有の俗語の取入れには違いないが、「なる」とは酒食に限らず色恋に用いてもよいわけで、前田勇「近世上方語辞典」に「おれを見ると附けつ廻しするに依て、こいつ成る口ぢやと思うて」という用例が挙げている、と。

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