泊めてくれない村のしぐれを歩く

Santouka081130036

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月1日の稿に
10月1日、曇、午后は雨、伊比井、田浦といふ家

  • 略-、朝夕の涼しさ、そして日中の暑さ。今日此頃の新漬−菜漬のおいしさはどうだ、ことに昨日のそれはおいしかつた、私が漬物の味をしつたのは四十を過ぎてからである、日本人として漬物と味噌汁と-そして豆腐と-のうまさを味はひえないものは何といふ不幸だらう。

酒のうまさを知ることは幸福でもあり不幸でもある、いはば不幸な幸福であらうか、「不幸にして酒の趣味を解し‥」といふやうな文章を読んだことはないか知ら、酒飲みと酒好きとは別物だが、酒好きの多くは酒飲みだ、一合は一合の不幸、一升は一升の不幸、一杯二杯三杯で陶然として自然人生に同化するのが幸福だ-ここでまた若山牧水葛西善蔵、そして放哉坊を思ひ出さずにはゐられない、酔うてニコニコするのが本当だ、酔うて乱れるのは無理な酒を飲むからである-。-略-
文末に掲げた句のほか5句を記している

―世間虚仮― ピナ・バウシュ死す

松岡正剛に「ハイパーピース・ダンス-Hyper Peace・Dance-」と献辞を送らしめた舞踊家ピナ・バウシュ-Pina Bausch-が、昨日-6/30-急死したという。

自らは「Tanz Theater-タンツテアター-」と称した、ラバンやM.ヴィグマンとともにドイツ表現主義の舞踊を築いたクルト・ヨースに学び、独自の方法論として開花させたそのDramaticなDanceは、80年代から90年代、世界のModern Danceに衝撃を与えつづけた、といっていい。

まだ68歳、若すぎる死である。癌だったというが、その告知の5日後の、突然の死であった、と。

―四方のたより― 今日のYou Tube-vol.14-
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.4

―表象の森― 「群島−世界論」-19-

15-6世紀のVeniceは、ヨーロッパ、アジア、アフリカを結んで地球大の拡がりを持ちはじめた海上交通のほとんど唯一無二の要衝として、世界でもっとも多くの知識と情報と文物を集積する能力を持ったことで、かえって事実の領域の彼方へと逸脱してゆくような白熱した知性を生み出した。「世界」という限定された観念の極限を踏み越えてしまう過剰かつ驚異的な事実の数々が、外界への想像力を意識の内面へと反転させ、未知の世界は謎の群島の連なりとして魂の多島海に浮上した。マウロの地図は、そうした新しい心性そのものを描いた精緻な認識地図だった。

近年の、高橋悠治によるバッハの鍵盤作品の演奏と解体をめぐる一連の作業ほど、私の「群島−世界論」へのVisionを鼓舞するものはない。その試みの先には、近代世界の成立を経てヨーロッパ大陸に収斂してきたあらゆる音楽文化の要素と意匠を、ふたたび群島世界の末端へと谺のように送り返したいという、刺戟的な音楽の反-方法論が見え隠れしている。

もちろんバッハは、はじめから高橋にとって西欧近代音楽の殿堂としての権威や正統性の源泉にはなかった。バッハはむしろ、近代の西洋音楽平均律やHomophonyといった一元的な法則性や形式的演奏行為のイデオロギーによって自らの「音楽」という制度を確立する前の最期の音楽的混沌を体現する、きわめて豊饒な可能性と逸脱の宝庫として捉えられていた。
 -今福龍太「群島−世界論」/19.白熱の天体/より

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