この春はどうやら花の静なる

Santouka081130016

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―世間虚仮― そのまんま劇場、終幕

昨日の朝刊トップ見出しに「東国原氏の入閣調整」と打った毎日新聞、今朝の紙面では一転「東国原氏起用見送り」とせざるをえなかった、そのまんま東の国政転身戦略に踊らされた騒動劇も、この一夜の、泰山鳴動の顛末でどうやら終幕がぐんと近くなったようだ。
ところが本人はまだまだやる気満々、「私が出馬すれば、自民を勝たせられる」と、ご当地の宮崎で県民相手に曰っている。そのOptimistぶり、ノーテンキな軽薄さは、麻生宰相殿といい勝負だ。

そのまんま東が、これまで宮崎県民の圧倒的な支持を得てこられたのも、またその人気がマスコミを通し全国に波及してきたのも、彼のキャラスタイル、下から目線ならぬ下からの物言いが、権力などとはほど遠い無力な存在の一所懸命さやある種の謙虚さを彷彿とさせればこそである。彼自身云うところの「この国を変える、今回が絶好のチャンス」も、かように自ら条件闘争にまみれていってしまっては、傲慢不遜と映るばかりで、正体見たりとなるは必定、ただ失墜あるのみだということに気づいていないらしい。

―四方のたより― 今日のYou Tube-vol.15-
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.5


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

空豆の巻」−15

   茶の買置をさげて売出す  

  この春はどうやら花の静なる  利牛

次男曰く、四吟歌仙の巡をabcd・badcの通例に従えば二花三月の定座の人は次のとおり。初折の表5句目・月−芭蕉、同裏8句目・月−孤屋、同裏11句目・花−孤屋、二ノ折の表11句目・月−芭蕉、同裏5句目・花−岱水。利牛の座はない。
二句上げて9句目、利牛の「花」は孤屋の譲によめものだと容易にわかるが、孤屋自身も定座の花の跡見を「朧月」と作っている。8句目で予め月をこぼしておいた所以だ。

「静なる」が見どころ。前句の「下げて」に即応した言葉択びもさることながら、二句上げて譲られた「花」が飲めや唄えの浮れ気分では具合がわるかろう。

句はこの興行で初めての春季である。雑の句からの移りだから進行に問題はないが、前々から時季の含みを以て読むと、いきなり花の座というのは逆接の印象を免れまい。ならば、気早な老人は八十八夜を待兼ねて古茶を売出す、と前句を茶化した滑稽の気転と読めばよい。茶摘は晩春の季である。利牛は「花の」と作って、もとはしていない。分説すれば主観が表に立ち、人情がらみとなる。裏入から人事句で継いできたこの巻のはこびからすれば、観相とはいえ眺めやる写生体の句が欲しい。利牛の眼のはたらきはそこにもあるだろう、と。

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