名月のまに合せたき芋畑

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―表象の森― 麿赤児梅津和時のSession Live報

大駱駝艦麿赤児と、サックス&クラリネット奏者の梅津和時によるライブセッションが、月末の29日あるそうだ。
仕掛人は寝屋川に住む陶芸家の石田博君だが、彼が会場に選んだのは「えにし庵」。

野崎観音も近い河内飯盛山の麓には小楠公こと楠正行を祀る四条畷神社があるが、えにし庵はそのすぐ下のあたり。この屋敷の庭には能舞台も設えられてあり、座敷から野外のイベントをたのしめる趣向となっている。月光と篝火のなかでのライブとなれば風情は一入なのだが、この日の月は正中19:17、28度と、あまり期待できそうもない。

麿の大駱駝艦は、記憶に狂いがなければ二度観ているはずだ。どちらも遠く80年代、京都北大路の曼珠院近くに設えられた野外の小屋は舟形で、その舳先が高さ14mにも及び、夜空にくっきりと浮かんだその姿が今でもあざやかに眼に浮かぶ。これが80年の10月のことであったようだが、「海印の馬」と題したこの舞台、踊りの印象は断片すらさっぱり思い出せないが、ポスターの斬新な図は、船の小屋とともに記憶に残る。

もう一つが87年8月の「羅生門」、こちらはタイトルすら失念していたが、場所はやはり京都の千本五条、JRの遊休地だったかあるいは別の大手企業のであったか、そこに一夏の間、現出せしめた魔界遊興の里「鬼市場」、ここでも大駱駝艦は7年前と同様の舟形の小屋で演じていたが、こちらのほうは意外にもずいぶんとユニゾン形式の動きが多用されていたのが、記憶の片隅に残っている。

石田博君とはそれ以前から互いに見知ってはいたのだが、偶々その夜二人して明け方近くまで話し込んで、以来昵懇になったのだ。
その石田君が仕掛人とあらば、この企画、私とて協力しないわけにはいかない。さしあたり今宵はイベントのチラシを掲載紹介しておきたい。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.33-
「往還記-OHGENKI-?」のSecond stage
「洛中鬼譚−夏雲-HASHI HIME-橋姫」

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

空豆の巻」−29

   堪忍ならぬ七夕の照り  

  名月のまに合せたき芋畑  芭蕉

次男曰く、月の定座。連・俳で八月十五夜芋名月、九月十三夜を豆名月という。その芋-里芋-の栽培に日焼を嫌うことを見込んで、七夕頃の例年にない日照続を気づかう体に作っている。

淡々とした遣句ふうだが、この巻の初折表の月-寝処に誰もねて居ぬ宵の月-と対の仕立のようだ。作者は共に芭蕉である。十五夜を待兼ねて、片や宵月ころから酒盛に逸る、片や七夕頃から芋の出来を心配する、という滑稽比べだがじつは、「名月のまに合せたき芋畑」は元禄3年春、膳所衆に「ひさご」の旗揚をさせるべく伊賀を出郷するにあたっても覚えた吟興だった。懐かしく思出しながら案じたに違いない、と。

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