豊年のよろこびとくるしみが来て

Dc090315023

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月16日の稿に
10月16日、曇、后晴、行程7里、高岡町、梅屋

暗いうちに起きる、鶏が飛びだして歩く、子供も這ひだしてわめく、それを煙と無智とが彩るのだから、忙しくて五月蝿いことはない疑ない。
今日の道はよかつた、−2里歩くと四家、十軒ばかり人家がある、そこから山下まで2里の間は少し上つて少し下る、下つてまた上る、秋草が咲きつづいて、虫が鳴いて、百舌鳥が啼いて、水が流れたり、木の葉が散つたり、のんびりと辿るにうれしい山路だつた。-略-

「何事も偽り多き世の中に死ぬことばかりはまことなりけり」
かういふ歌が、忘れられない、時々思ひ出しては生死去来真実人に実参しない自分を恥ぢてゐたが、今日また、或る文章の中にこの歌を見出して、今更のやうに、何行乞ぞやと自分自身に喚びかけないではゐられなかつた、同時に、「木喰もいづれは野べの行き倒れ犬か鴉の餌食なりけり」、といふ歌を思ひ出したことである。

※この日の文中に、「山の中鉄鉢たゝいて見たりして」や冒頭の掲載句を含む27句の多くを記しているが、「或る農村の風景」と題した連作では、当時の農に携わる人々の困窮のほどが自ずと映し出された句がつづく。

傾いた屋根の下には労れた人々
脱穀機の休むひまなく手も足も
八番目の子が泣きわめく母の夕べ
損するばかりの蚕飼ふとていそがしう食べ
出来秋のまんなかで暮らしかねてゐる
こんなに米がとれても食へないといふのか

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.33-
「往還記-OHGENKI-?」のSecond stage
「洛中鬼譚−秋霖-IBARAKI-茨木 その1」

人気ブログランキングへ −読まれたあとは、1click−