すたすたいふて荷ふ落鮎

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―世間虚仮― どっちが依存

昨日から我が家では愛娘が不在、KAORUKOは2泊3日の子どもサマーキャンプとやらで信太山大阪市野外活動センターへお出かけなのだ。

保育園時代、お泊り保育で外泊の旅は経験済みとはいえ、このたびは友だちとてなく、まったく見知らぬ者たちの群れの中に投げ込まれるわけで、この話に初めは憶してその気にならなかったが、連合い殿の説得-?-が功を奏してか、いつしか未知の冒険に心弾ませるようになり、出発の日を待ち望むまでに変化していた。

昨日の朝、集合場所のJR天王寺駅から送り出す時も、ちょっぴり不安を抱きつつも、リーダーのお姉さんたちに引率されながら笑顔で旅立っていったのだが、昨日今日と手のかかる幼な児不在で、戸惑いやら寂しさやらになんとなく気勢もあがらず漫然と時を過ごしているおのれ自身に気づいては、子から親への依存より、親が子への依存度のほうがむしろ上回っているのではないかと、連合い殿と頷き合っている始末だ。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.33-
「往還記-OHGENKI-?」のSecond stage
「洛中鬼譚−秋霖-IBARAKI-茨木 その弐」


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

空豆の巻」−30

  名月のまに合せ度芋畑  

   すたすたいふて荷ふ落鮎  孤屋

次男曰く、落鮎は、まれに晩秋の季とするものもあるが、諸俳書多くは仲秋とする。「すたすたいふ」は、急ぎ足を指す擬態語に「いふ」を複合した俗語で、息遣いの荒いさま。江戸期、京都で誓文払のときに商人の神詣に代って垢離を取った乞食坊主-すたすた坊主-が起りらしい。寒中真っ裸、縄鉢巻、腰にしめ縄を巻きつけて唄い踊って銭を乞うた。

近松の「双生隅田川」-享保5年-に「難行苦行のすたすた坊主、すたす云ふてぞ加持しける」、孤屋の用字は近松のそれより早い。これにかぎらず、上方系の擬態・擬声語の多用は先に「梅が香の巻」の評釈でも述べたが、「炭俵」の一特徴である。

句作りは名残の表の端、前が名月にかこつけ一巻満尾の心構えを促しているのを承けておどけた倉卒ぶりで、「落鮎」と裏入の趣向を見せている。芋作りと落鮎担きが同一人であるわけはないから両者の立話で、「名月のまに合せ度-たき-」に心急く趣を見込んだ付だろう、と。

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