山の根際の鉦かすか也

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―日々余話― 盆の稽古の四方山話

7月26日から東京へと二つのバレエ講習会を受けるため東京へ行っていたありさが、ほぼ4週間ぶりに帰ってきて、久しぶりに顔を出す筈だった今日の稽古だが、先の講習を受けたソフィア・バレエ・アカデミーから、スタジオ公演に怪我で欠員が出来たとかで急遽呼び出され、再び上京して来られず。

皆既日食に日程を合わせて奄美へ帰っていた発声参加の田中勝美さんが、これまた1ヶ月半ぶりか、12時に顔を出して、一緒に小一時間の発声レッスン。
御年37歳とかの彼女の娘さんが、藤條虫丸に師事した平松麻衣という舞踏家と聞いて驚かされたが、考えてみれば、昔からアングラ演劇などはいろいろと足繁く通ってきた母親の、その娘がそういった道に踏み込んでいくのも、そりゃありそうなことではある。どうやら舞踏仲間の何人かでphysical poetsという名のグループを組んでいるらしい。

6年ぶりくらいだったか、一昨日会った四季の竹村君が、弁護士の卵-司法修習生-となった一回り以上歳の離れた若い夫人を伴って、稽古場に着いたのは約束の2時半過ぎだった。

かなりほっそりしたタイプかと想像していたが中肉中背、人の話を聞くときの眼がなかなか鋭い、さすがしっかりした好感の持てる子だ。
稽古を終えてから2時間近く、初会にもかかわらずこの夫婦との雑談は、気のおけない愉しいものだった。

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

空豆の巻」−32

  このごろは宿の通りもうすらぎし  

   山の根際の鉦かすか也  岱水

次男曰く、さびれた宿場町は得てして山の根際などに在る、と考えれば合点のゆく作りだが、それだけでは「このごろは」の作意が消えてしまう。噂を落鮎売の愚痴と見定めた付だろう。売れぬ落鮎を嘆く行商の耳に山の根際あたりから念仏講の伏鉦-ふせがね-が聞こえてきた、と解すれば「このごろは」と「かすか也」は響きあう。「鉦かすか也」は「落鮎」との釣合である。

町がひっそりしているのをいぶかしく思ったら、人は山の根際に寄合っていた、という転換の思付は景気をうまく起す俳諧の一体になる。「うすらぎらし」は嘆き、「かすか也」は起情である。売れぬ落鮎はそれとして、手持無沙汰な行商の興も誘われて動くだろう、と。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.40-

四方館DANCE CAFÉより
「出遊-あそびいづらむ-天河織女-あまのかわたなばた-篇」Scene.2

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