花見にと女子ばかりがつれ立て

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―世間虚仮― Soulful Days-25- 民事訴訟はじまる
高さは12階建ながら横にぐんと長いあの偉容が、一介の市民には圧するばかりに映る大阪高裁・地裁のビルに入るのは、いったい何年ぶりだったか。

本日午後1時15分、民事訴訟の第1回口頭弁論期日があった。
当初、私は立ち会うつもりではなかったのだが、週末小旅行から帰ってきたら、担当弁護士から被告側の答弁書コピーが送付されてきており、これに眼を通してその腹づもりは一転してしまったのだった。

もちろん、原告被告となって争いのテーブルに乗ったのだから、此方側の告訴理由等々に対し、被告側の答弁書がことごとく反論してくるのは当然の成行なのは百も承知なのだが、いわば無味乾燥な訴訟用語で終始した身も蓋もないような文面に、いざ接してみて、もはや訴訟にまで持ち込んでしまった以上、その流れを自分の眼と耳で追い、ひとつ一つの闘いの手立てに、後顧の憂いなく関わっていかねばならないのだ、と思いなおしたのである。

担当裁判官は50代半ばか、一見してごく温厚な人柄に見えた。相手方弁護士は二人、保険会社は同一ながらMKタクシー会社側と事故相手T側が、それぞれ弁護士を立ててきていた。

型通りに双方における争点の確認作業が事務的に行われ、早々と次回期日を10月8日と取り決めてこの日は幕。ものの10分ばかりも要したろうか。初回は、まあそんなものだと承知しているから、なんという感想も湧かないのだが、問題はT方の答弁趣旨で、あくまで無過失を主張してくる構えのようで、これにはさすがに私も、ことあらためてムッときた。

おそらく、膠着したまま動かぬ交通裁判の刑事告訴のほうは、かように民事訴訟に至ったということで、判決であれ和解であれ、民事の片がつくまで、兪々黙りを決め込んでまったく動かなくなるだろう、というのがK弁護士の見当だ。ならば、この法廷で、無過失を主張してくるT側に対し、そのT本人を証言台に立たざるをえなくなるほどに、争点の絞り込みなり、緻密な展開を図らなければならぬ、との意を強くしながら帰路についたのだった。

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>


空豆の巻」−35

   晒の上にひばり囀る  

  花見にと女子ばかりがつれ立て  芭蕉

次男曰く、「女子-おなご-ばかり」が趣向である。前句の優しげな姿を受け、雲雀の囀りを女共の私語嬌声と聴いているのだがそれを、干し拡げた晒し布の白一面と結べば、見わたすかぎりの桜花の色もおのずと現れてくる。

雲雀は三春の季だが、古俳書とくに初乃至仲の季とするものが多い。一方、花見は晩春に入る行事である。したがって二句同時の付ではない。さえずりの余情を汲んで季節を巧みに深めている、と。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.46-

四方館DANCE CAFEより
「出遊-あそびいづらむ-天河織女-あまのかわたなばた-篇」Scene.8

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