跣足の子供らがお辞儀してくれた

Dc09070700

Information-四方館 DANCE CAFF-「出遊−上弦月彷徨篇」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月2日の稿に
11月2日、曇、后晴、延岡町行乞、宿は同前

9時から1時まで辛うじて行乞、昨夜殆ど寝つかれなかつたので焼酎をひつかける、それで辛うじて寝ついた−アルコールかカルチモンか、どちらにしても弱者の武器、いやな保護剤だ。
同宿の同郷の遍路さんとしみじみ語つた、彼は善良なだけそれだけ不幸な人間だつた、彼に幸あれ。

※表題句は、10月31日の稿に記載の句

―日々余話― 難行易行

毎日新聞朝刊の中折2面を使ったカラー版「農and食」の特集記事、先ず中央に配された、彼岸花の咲きほこる明日香村神奈備の里の大きな写真が、読者の眼を惹きつける。

記事は大小4つ、京田辺市で、農薬なし肥料もなし、玉露や煎茶の画期的な無施肥無農薬栽培を確立し、普及にも努めているのが小野さんという女性。この辺り、近くを流れる木津川の川霧が味を良くしてくれるという茶の名産地で知られる土地柄だが、それにしても、天然灌水、土と太陽光だけでの栽培は、全国的にも存在しないそうな。その普及活動を実践しているのが会員200名ほどを擁するNPO無施肥無農薬栽培研究会で、ご当人の小野さんも理事として活動を牽引している。

もう一つ、秋田県八郎潟干拓地は米どころとして全国に知られるが、自由化の煽りで下がりつづける米価が、この大潟村の農家を軒並み襲っている。コメ価格の将来不安は、水稲単作から野菜栽培などの複合経営へと走らせる。そんななかで馴れないトマトのハウス栽培に将来を託して悪戦苦闘を続ける農家だが、ここでもこだわりは無農薬。虫に喰われ、形が揃わず、市場から出荷停止の苦い経験を味わいながら、失敗の蓄積が技術の蓄積へと変わっていく。販売店も独自に開拓をしてきた。サンプルを抱えて百貨店やスーパーへ営業を重ね、こつこつと販路もひろげてきた、と。

こういった話題に触れると、農−自然を相手に文字どおり耕すこと−のたゆまぬ工夫の積み重ね、その奥深さに、心衝かれ自ずと頭の垂れる想いにとらわれる。自身に振り返れば、大地相手の農の真似ごとなど思いもよらぬ不可能事だが、おのが日常とする、人事の内での耕の類など、なにほどもない易行の道なのだとも思えて、反省することしきりだ。

人気ブログランキングへ −読まれたあとは、1click−