日記焼き捨てる火であたたまる

Dancecafe080928215

Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句昭和5年の行乞記、11月21日の稿に
11月21日、晴曇定めなくて時雨、市街行乞、宿は同前

夢現のうちに音をきいたが、やつぱり降る、晴れる、また降る、照りつつ降る、降つてゐるのに照つてゐる、きちがい日和だ、9時半から1時半まで行乞する、辛うじて食べて泊つて一杯飲むだけは与へせれた、時雨の功徳でもあり、袈裟の功徳でもある。-略-

下関の市街は歩いてゐるうちに、酒屋、魚屋、八百屋、うどん屋、餅屋-此頃は焼芋屋-、等々の食気屋の多いのに、今更のやうにも驚かないではゐられない、鮮人の多いのにも驚ろく、男は現代化してゐるけれど、女は固有の服装でゆうゆうと歩いてゐる、子供を腰につけてゐるのも面白い-日本人は背中につけ、西洋人は籃に入れてゐる-。

昨日も時化、今日も時雨だ、明日も時雨かも知れない、時化と関門、時化の関門と私とはいつも因縁がふかいらしい。-略-

しぐれの音が聞える、まつたく世間師殺しの天候だ、宵のうちに、隣室の土工さんが、やれやれやつと食ふだけは儲けて来た、土方殺すにや刃物はいらぬ、雨が三日降りやみな殺し、と自棄口調で唄つてゐたのを思ひだす、私だつて御同様、わがふところは秋の風どころぢやない、大時化のスツカラカンだ。

※表題句の外、15句を記す

―表象の森― 瞑想の即興

ここ数年、インド舞踊で全国的に活動の場をひろげている茶谷祐三子が、やっと我が四方館の稽古場に姿を見せた。

Pure Danceと本人が謂うところの即興は、「瞑想の踊り」と形容するに相応しいものであった。踊りに入る時点で彼女はある種の瞑想法ですでに日常性から脱して精神的な高みに達しているかのようにみえるのは、普段の表情とまるで異なる相貌になっているからだ。かといって憑依というべきものではなく、なにやら気品といったものが漂うような雰囲気がある。

振付の決まった18分余を要するOdissi Dance、この踊りを文字どおりpureに踊りきるのはとても難しい、と私には思えた。所作のたびに足に付けた鈴の音色と伴奏音との微妙なバランス、これは生演奏でなければまず無理だろう。だがそんなことよりも、次から次へ連綿と紡がれる細かい所作の綴れ織りともみえるこのOdissi Danceを、軽快にDynamicにかつ優雅に踊りうる者は、この日本にも小野雅子など何人か居るのだろうけれど、彼女が垣間見せてくれた「瞑想の踊り」のように、その精神の高みにおいて、それは神や仏なるものへの帰依や信仰から発してその化身へと昇華していくようなものでもあろうか、この長丁場を踊りきるのは至難のわざとみえる。

茶谷祐三子のインド生活は、ほぼ10年に及んだという。先師に仕えて踊りの習得に励んできたのは7年間、毎日8時間もの稽古という、ひたすら瞑想と踊りの訓練に明け暮れた日々だったろう。相当の長い年月を身心共にずぶりとその世界に浸りきった、そんな暮しのなかでしか身につけ得ないものがあるだろう。彼女は彼女なりにそういったものを身につけている。

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