雨の一日一隅を守る

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Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月23日の稿に
11月23日、曇、時雨、下関市、地橙孫居

相変わらずの天候である、浅野関門海峡を渡る、時雨に濡れて近大風景を観賞する、舳の尖端に立つて法衣を寒風に任した次第である、多少のモダーン味がないこともあるまい。

門司風景を点綴するには朝鮮服の朝鮮人の悠然たる姿を添へなければならない、西洋人のすつきりした姿乃至じつしりした姿も−そして下関駅頭の屋台店-飲食店に限る-、門司海岸の果実売子を忘れてはならない。

約束通り10時前に源三郎居を訪ふたが、同人に差閊え多くて、主客二人では句会にならないで、けつくそれをよい事にして山へ登る、源三郎さんはりゆうとした現代紳士型の洋装、私は地下足袋で頬かむりの珍妙姿、さぞ山の神−字義通りの−もおかしがつたであらう。

下関から眺めた門司の山々はよかつたが、近づいて見て、登って観て、一層よかつた、門司には過ぎたるものだ。
「当然」に生きるのが本当の生活だらうけれど、私はただ「必然」に生きてゐる、少くとも此二筋の「句」に於ては、「酒」に於ては!

※表題句の外、20句と改作3句を記す

―四方のたより―名古屋・大須観音界隈を歩く

名古屋へと、車で日帰りの旅。先にも触れた、名古屋は大須観音界隈で毎年行われている、今年は32回目を迎えるという、大須大道町人祭を見物に出かけた、いわば物見遊山だが、その初期の頃から常連として出演しているデカルコ・マリィら一党のPerformanceを観るのも兼ねたものだった。

名古屋行はまる3年ぶり、月に一度しかない開帳日に折角合せて出かけたのに、受付が午後2時までだったかを15分ほど過ぎてしまって、十二神将円空仏をとうとう見逃してしまったという、笑うに笑えぬ曰く付きの鉈薬師訪問、3年前の8月以来である。

あの日と同じように、名古屋に住むTosikiさんに不躾を省みず案内をお願いした。彼は快く応じてくれ、昼過ぎから夜9時半頃に別れるまで、案内役としてずっと付き合ってくれた。

大須観音の参道であり、東西に走る二本の商店街、仁王門通−東仁王門通大須観音通−万松寺通、この二つの通りを南北に横切る大須本通−門前町通、裏門前町通、新天地通など、これらの辻々や神社境内、あるいは公園などに設定された催し会場が16ポイント、これらの場所で10日と11日、土日の2日間、40の個人やグループのPerformerたちが入替り立替りその芸を披露、見物人の投銭のみが彼らの実入りとなるというのが原則の大道芸祭り。

デカルコ・マリィ一党は、演舞・演奏・美術など総勢20名余の大所帯での大須乗込みが、ここ数年常態化してきているとみえて、演者たちのほうこそお祭り騒ぎの様相を呈している。その本割りともいうべき午後7時20分からの浅間神社前でのPerformanceは、これまたここ数年、イメージ・ストーリィを明瞭にもった構成となっているようだ。今回の目玉はラストシーンに登場する妖怪仕立ての大型の仕掛人形、これが40分近い演舞、物語の収斂装置だ。

大須観音の本殿、観音堂前の石段で演じられていたのが大駱駝艦の金粉ショー、さすがに人出は多くほぼ境内を埋め尽くすほどの賑わい。大きな社殿をバックに石段の高低差を舞台に総勢7人がライトに照り映えて夜目にもあざやかに浮かんだ金粉の肉体たちは、その舞踏がどうの、演出がどうのと、そんな講釈などさらさら要らぬ、このロケーションだけで絵にはなる、それだけのことだ。

いずれにせよ、32年も続いてきた大須の大道芸祭、一度はこの眼で見ておかねばなるまいとは思ってきた、それをやっと果たせた。

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