まつたく裸木となりて立つ

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Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月25日の稿に
11月25日、晴、河内水源地散歩、星城子居、雲関亭、四有三居

ほがらかな晴、俊和尚と同行して警察署へ行く、朝酒はうまかつたが、それよりも人の情がうれしかつた、道場で小城氏に紹介される、氏も何処となく古武士の風格を具へてゐる、あの年配で剣道六段の教士であるとは珍しい、外柔内剛、春のやさしさと秋のおごそかとを持つ人格者である、予期しなかつた面接のよろこびをよろこばずにはゐられなかつた、稽古の済むのを待つて、四人−小城氏と俊和尚と星城子とそして私と−うち連れて中学校の裏へまはり、そこの草をしいて坐る、と俊和尚の袖から般若湯の一本が出る、殆ど私一人で飲みほした-自分名ながらよく飲むのに感心した-、-略-

内水源地は国家の経営だけに、近代風景として印象深く受け入れた-この紀行も別に、秋ところどころの一節として書く-、帰途小城さんの雲関亭に寄つて夕飯を饗ばれる、暮れてから四有三居の句会へ出る、会する者十人ばかり、初対面の方が多かつたが、なかなかま盛会だつた-私が例の如く笑ひ過ぎ饒舌り過ぎたことはいふまでもあるまい-、12時近く散会、それからまたまた例の四人でおでんやの床几に腰かけて、別れの盃をかはす、みんな気持よく酔つむて、俊和尚は小城さんといつしょに、私は星城子さんといつしよに東と西へ、−私は
ずゐぶん酔つぱらつてゐたが、それでも、俊和尚と強い握手をして、さらに小城さんの手をも握つたことを覚えてゐる。

※表題句の外、13句を記す

―世間虚仮― 繁昌亭の繁昌

天満天神の繁昌亭が、文字どおり繁昌しているそうな。建設資金の殆どが市民らの寄付カンパで成った落語の定席小屋だし、06年9月の杮落し以来、ずっと続いているというその盛況ぶりは喜ばしい限りだし、このほど累積入場者数も50万人を超えたと、結構なニュースである。

この間、通算100回目の来場を果たした剛の者がおり、この御仁に感謝状が贈られた、ともあるのだが、この剛の者が堺市役所の職員と書かれてあるのを見るに及んで、途端に興醒め。そりゃ好きで通いつめた結果ではあろうが、その御仁がなんだよ公務員かい、時間もあれば金銭にもゆとりあり、まことに結構な身分でございますな、と外野から半畳も入れたくなろうというものだ。

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