ボタ山の下でまた逢へた

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Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。

場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月26日の稿に
11月26日、晴、行程8里、半分は汽車、緑平居-うれしいといふ外なし-

ぐつすり寝てほつかり覚めた、いそがしく飲んで食べて、出勤する星城子さんと街道の分岐点で別れる、直方を経て糸田へ向ふのである、歩いてゐるうちに、だんだん憂鬱になつて堪へれないので、直方からは汽車で緑平居へ驀進した、そして夫妻の温かい雰囲気に包まれた。‥‥

昧々居から緑平居までは歓待優遇の連続である、これでよいのだらうかといふ気がする、飲みすぎ饒舌りすぎる、遊びすぎる、他の世話になりすぎる、他の気分に交りすぎる、勿躰ないやうな心持になつてゐる。

山のうつくしさよ、友のあたたかさよ、酒のうまさよ
今日は香春岳のよさを観た、泥炭-ボタ-山のよさをも観た、自然の山、人間の山、山みなよからざるなし。

駅で、伊豆地方強震の号外を見て驚いた、そして関東大震災当時を思ひ出した、そして諸行無常を痛感した、観無常心が発菩提心となる、人々に幸福あれ、災害なかれ、しかし無常流転はどうすることも出来ないのだ。

緑平居で、プロ文士同志の闘争記録を読んで嫌な気がした、人間は互いに闘はなければならないのか、闘はなければならないならば、もつと正直に真剣に闘へ。

此の二つの記事が何を教へるか、考ふべし、よく考ふべし。

※表題句の外、16句を記す

−表象の森− ダ・ヴィンチの絵?

従来は19世紀ドイツ人画家の作品とされてきたルネサンス期の女性の横顔を描いた絵-縦33cm×横23cm-が、実はレオナルド・ダ・ヴィンチの絵だった、と話題を呼んでいる。

科学的な根拠は絵の左隅に残された指紋が、ダ・ヴィンチのものと極めて酷似しているのだという。彼の指紋はバチカン美術館にある絵画「聖ヒエロニムス」に残されており、これとほぼ合致。さらに放射性炭素年代測定によれば、15〜17世紀に制作されたものと判定されており、ダ・ヴィンチの絵であるのはほぼ間違いあるまいというのだ。描かれている横顔の女性は、当時ダビンチの後援者だったミラノのルドビコ・スフォルツァ公の娘の可能性が高いと、そんな説も唱えられている。

これがほんとうにダ・ヴィンチの作品となれば、1億Euro-133億円-以上の価値にもなろうというのだから、時ならぬ騒ぎとなるのも無理はない。無理はないのだけれど、画面で覗えるかぎりこの絵、人物はともかく、その背景は粗書きのままのようで、未完の習作ではなかったかとも思われる。

この騒ぎに、地下に眠るダ・ヴィンチ先生、ひょっとすると迷惑顔をしているやもしれない。

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