ボタ山のまうへの月となつた

Hantomo0910_2

Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月29日の稿に
11月29日、晴、霜、伊田行乞、緑平居、句会

大霜だつた、かなり冷たかつた、それだけうららかな日だつた、うららかすぎる一日だつた、ゆつくり伊田まで歩いてゆく、そして3時間ばかり行乞、-略-

行乞は雲のゆく如く、水の流れるやうでなければならない、ちよつとでも滞つたら、すぐ紊れてしまふ、与へられるままで生きる、木の葉の散るやうに、風の吹くやうに、縁があればとどまり縁がなければ去る、そこまで到達しなければ何の行乞ぞやである、やつぱり歩々到着だ。

  • 略-、枯草の上で、老遍路さんとしみじみ話し合つた、何と人なつかしい彼だつたろう、彼は人情に飢えてゐた、彼は老眼をしばたいてお天気のよいこと、人の恋しいこと、生きてゐることのうれしさとくるしさとを話しつづけた、-果たして私はよい聞手だつたらうか-

夜は緑平居で句会、門司から源三郎さん、後藤寺から次良さん、4人の心はしつくり解け合つた、句を評し生活を語り自然を説いた。

真面目すぎる次良さん、温情の持主ともいひたい源三郎さん、主人公緑平さんは今更いふまでもない人格者である。

源三郎さんと枕をならべて寝る、君のねむりはやすらかで、私の夢はまどかでない、しばしば眼ざめて読書した。

日が落ちるまへのボタ山のながめは、埃及風景のやうだつた、とでもいはうか、ボタ山かピラミツドか、ガラ炭のけむり、たさがれる空。

オコリ炭、ガラ炭、ボタ炭、ビフン炭-本当のタドン-、等、等、どれも私の創作慾をそそる、句もだいぶ出来た、あまり自信はないけれど。

※表題句の外、28句を記す

―表象の森― ちぎれぐも、何処へゆく

一昨日-土曜-の夜、はて3年ぶりかあるいは4年ぶりか、「犯友-HANTOMO-」の野外劇「ちぎれぐも」を観に、難波宮跡地の公園へと出かけた。

久し振りに観た犯友芝居を辛口に評すなら、以前に比べて、役者群の総力が落ちてきたな、という慨嘆をどうにも禁じ得ない、先ずこのことに触れざるを得ない。戯作と演出を一手に引き受けつづける武田一度君の劇作法は、役者一人ひとりへのあてこみともいえる人物描写と、自家薬籠中となった演出技法とが一体化しており、それがある種いい意味でのマンネリズムを生み出してもいるのだが、それにしても中軸となりうる数人の役者と脇の役者群における力量の落差がちょっと大きすぎるという点が、見逃しきれぬ負材料となってしまっている。

武田一度の役者育て、役者のつくり方は、昔から一貫したものを有しており、素材のキャラを活かしながら、それぞれ独自の型へと架橋していくあり方そのものは、そういう手法があってもいいのだが、その前段に発声なり滑舌なりまた動きなり、最低限の基本技を日常的な訓練としてもう少し課していってもらいたいと思う。

その武田独自の役者育てで、主演を張る女優彩葉の演技はずっと造られてきているのだが、これくらいのキャリアを積んでくると、さすがに私もこのあたりで注文をつけたくなってしまう。啖呵芝居ともいえる彼女の演技の型に、もっと柔軟さが欲しい、軽さやしなやかさを望みたいのだ。そういったものから匂い立つような色香が解き放たれてこようと思うのだが、このままではそんな期待も望めそうもない、いまや彼女の啖呵芝居は凝り型ともなってきており、厚い壁の存在がどうも露わになってきた、そんな気がするのだ。

ある造型が成ったとき、その粘土の含む水分がほぼ気化して固形化するものだが、その形を些かなりとも変えるとなると、水をやって粘土を柔らかくしてやらなければどうにもならないが、その粘土と水のようなもので、たえず素材としての粘土へとたちもどさせる水分の役割を、日常の稽古の現場でどう保証しているのか、このあたりが武田君の役者育てに欠けたる部分ではないか、と推察されるのだが‥。

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