猫もいつしよに欠伸するのか

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Information – CASO版/四方館 Performance
二上山夢験」−折口信夫死者の書」より
語り-林田鉄/舞い-末永純子/奏で-大竹徹・田中康之
10/31-SAT- PM7:00〜

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月2日の稿に
12月2日、曇、何をするでもなしに、次良居滞在。

毎朝、朝酒だ、次良さんの行為をありがたく受けてゐる、次良さんを無理に行商へ出す、私一人猫一匹、しづかなことである、夜は大根膾をこしらへて飲む、そして遅くまで話す。-略-

或る友に与へて−
私はいつまでも、また、どこまでも歩きつづけるつもりで旅に出たが、思ひ返して、熊本の近在に草庵を結ぶことに心を定めた、私は今、痛切に生存の矛盾、行乞の矛盾、句作の矛盾を感じてゐる、‥私は今度といふ今度は、過去一切−精神的にも、物質的にも−を清算したい、いや、清算せずにはおかない、すべては過去を清算してからである、そこまでいつて、歩々到着が実現せられるのである、‥自分自身で結んだ草庵ならば、あまり世間的に煩はされないで、本来の愚を守ることが出来ると思ふ、‥私は歩くに労れたといふよりも、生きるに労れたのではあるまいか、一歩は強く、そして一歩は弱く、前歩後歩のみだれるのをどうすることも出来ない。‥

※表題句の外、19句を記す

―日々余話― 朱の海と、彷徨える山頭火

この数日、ゆっくり新聞を読む暇がない、ニュースを見る時間もない、もちろん読書からも遠離っている。時ならぬ閑中忙?である。

そそくさと拾い読みした昨日の朝刊、丹砂-水銀朱-で赤く塗り込められた、桜井市にある茶臼山古墳の石室の模様が報じられていたが、この水銀朱の使用量が200?に相当するという破格のものらしい。丹は、道教でいえば、不老長寿の仙薬、始皇帝の墓にはこの朱色の海があるという史記の故事もある。3世紀末から4世紀初頃とされる茶臼山古墳にも、規模の彼我はあれど、その石室一面に朱色の海がひろがっていた、というのは驚き。

こうして、山頭火の行乞記を追って綴っていると、彼のバイオリズムといったものがほの覗えてくる。句作の知人・友人たちの歓待にしばしのやすらぎを得ては、却って一所不在の徹底が揺らぎだし、自身の矛盾撞着が露呈してくる。自ら草庵を結び、孤高に生きんとする理想形に執着する念が、どうしても頭を擡げてくる。

山頭火は、この後、月末にも、別れたサキノも居る、長年親しみ住んだ熊本市内に「三八九居」を構えることとなるが、わずか半年ほどで、おのれの甘さゆえ、またも取り返しのつかない失態を演じては、窮地に追い込まれ、挙げ句の果て、新しい草庵を求めて、またも旅に出る。

彼が、生まれ育った故郷近くの小郡に、ようやく「其中庵」と名づけられた安住の地を得たのは、昭和7年9月のことである。

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