ころがつてゐる石の一つは休み石

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Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。

場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月7日の稿に
12月7日、晴、行程4里、二日市町、わたや

早く目が覚めたが−室は別にして寝たが−日曜日は殊に朝寝する時雨亭さんに同情して、9時過ぎまで寝床の中で漫読した、やうやく起きて、近傍の大仏さんに参詣して回向する、多分お釈迦さんだらう思ふが、大衆的円満のお姿である、11時近くになつて、送られて出立する。-略-

ぽかぽかと小春日和だ、あまり折れ曲りのない道をここまで4里、酔が醒めて、長かつた、労れた、夕飯をすまして武蔵温泉まで出かけて一浴、また一杯やつて寝る。-略-

すぐれた俳句は−そのなかの僅かばかりをのぞいて−その作者の境涯を知らないで充分に味はえないと思ふ、前書なしの句といふものはないともいへる、その前書とはその作者の生活である、生活といふ前書のない俳句はありえない、その生活の一部を文字として書き添へたのが、所謂前書である。

※表題句の外、12句を記す

―四方のたより― 久しぶりの‥

踊りと合せてみた稽古はただの一度、自分なりに本読みをしてみたのもほんの数回に過ぎなかったが、連日のようにCASOに通っては、場に馴染み、心の構えだけは調えてきた。
それになんといっても、遠い昔、’82年と’83年の両度、舞台にのせて語った「死者の書」の言葉たちであってみれば、まあ大した破綻もなく演り了せたようだから、祭りのあとの時間はなにやら昂揚感が漂い、快い余韻に浸っている。

CASOの一週間も今日一日で幕となるが、昨年6月に続いての二度目とあって、CASOという場としての成り立ちや機制と、ゆるやかな紐帯に支えられた「青空展」のランダムな盛り付や在り様のあいだの齟齬がかなり露わになってきたようである。
この企画に三度目があり得るとしても、というわけにはいかないのではないか、と思われる。

―今月の購入本―
今月と表しつつも、このたびは忙しさに取り紛れ、一日遅れの掲載となってしまった。

斎藤環「文脈病」青土社
7月に図書館から借りて読んだものだが、斎藤環ならまず是一冊にしくはないと購入。

・大森荘藏・坂本龍一「音を視る、時を聴く-哲学講義」ちくま学芸文庫
先の吉本隆明との対話「音楽機械論」と同様、大森荘藏が坂本龍一の問いかけに語る<時間>と<感覚>などについて。これも初版は’82年。

梅森直之「ベネディクト・アンダーソン、グローバリゼーションを語る」光文社新書<想像の共同体>の提唱者ベネディクト・アンダーソンが’05年、早稲田大学で行った二つの講義とその解説。

・大井玄「痴呆老人は何を見ているか」新潮新書
「人は皆、程度の異なる<痴呆>である」、私の<縮小>−ほどけていく私。終末期を迎え、痴呆状態にある老人たちを通して見えてくる、正常と異常のあいだ‥。

山田風太郎「人間臨終図鑑 -2-」徳間文庫
生に固執するか、安寧の中に逝くのか、人生のすべてが、その瞬間に凝縮されている。ダンテ、明智光秀ニーチェ越路吹雪、シーザー等々、56歳から72歳で死んだ人々の最後の言葉たち。

山田風太郎「人間臨終図鑑 -3-」徳間文庫
同上−カザノヴァ、川端康成徳川家康など、73歳から121歳で死んだ人々。

夢枕獏上弦の月を喰べる獅子 -下」ハヤカワ文庫
胃にしこりを持つ螺旋収集家と肺を患ったイーハトーブの詩人-宮沢賢治-、二人の魂を持つ双人アシュジュンの長い修羅の旅−それは天についての物語である。

他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN」2009/11月号

―図書館からの借本―
田中優子「江戸百夢 -近世図像学の楽しみ」朝日新聞社
ルニーニのエクスタシーからフェルメールの新興市民まで、琳派のリアルから東照宮の幻想までを内在させる<坩堝>のような江戸を、100枚の絵図で読む。元は「朝日ジャーナル」の連載、これを大幅に加筆、’00年刊。

・木村紀子「古層日本語の融合構造」平凡社
多元的な声の重層する古層日本語の世界を証している記紀万葉や伝承歌謡など、古代言語資料を精細に読み解き、単一民族・単一言語神話の対極から古層日本語の生成に迫る書。

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