行き暮れて水の音ある

Dc090315141

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月10日の稿に
12月10日、晴、行程6里、善導寺、或る宿

9時近くなつて、双之介さんに送られて、田主丸の方へ向ふ、別れてから、久しぶりに行乞を初めたが、とても出来ないので、すぐ止めて、第十九番の札所に参拝する、本堂庫裡改築中で落ちつきがない、まあ市井のお観音様といつた感じである、ここから箕ノ山の麓を善導寺までの3里は田舎路らしくてよかつた、箕ノ山といふ山はおもしろい、小さい山があつまつて長々と横たはつてゐるのである、陽をうけて、山脈が濃淡とりどりなのもうつくしかつた、途中、第十八番の札所へ詣るつもりだつたが、宿の都合が悪く、日も暮れかけたので、急いで此宿を探して泊まつた、同宿者が多くてうるさかつた、日記を書くことも出来ないのには困つた、床についてからも嫌な夢ばかり見た、49年の悪夢だ、夢は意識しない自己の表現だ、何と私の中には、もろもろのものがひそんでゐることよ!

※表題句の外、2句を記す

Himuro

―日々余話― 三日、色々

一昨日-11/4-は、インド舞踊-Odissi Dance-の茶谷祐三子と打合せのために出かけたのだが、連れ立って来たスイス人の夫君と初対面となった。彼の名はパリギャン-Parigyan-、’51年生れというから今年58歳。ドイツのフライブルク大学で数学・物理学を修し、コンピュータープログラマーを経て、現在、ヒーリングや瞑想をWorkとしているそうだ。

’77年、インドのプーナを訪れ、瞑想の師Osho-和尚=ラジニーシと出会い、弟子に。師Oshoは’90年に歿しているが、長い年月を、師のアシュラムやコミューンで過ごしてきた、という。

肩にも届く銀髪に、口髭とともに顎から揉み上げまでを覆う伸び放題の鬚に包まれた風貌は、優しい柔和な眼差しと相俟って、穏やかで物静かな聖者然とした雰囲気を醸し出す。

彼は私への挨拶代わりに、横に坐って、私の左手を両手で包むようにして、数分間のあいだずっと優しく触れてくれた。仄かに優しい温もりが伝わってくるもので、私はただ触れられるままに心静かに委ねていた。

昨日-11/5-は、めずらしく連れ合い殿が休日とあって、朝から映画を観に梅田へと出かけた。
ドキュメント・タッチの「パリ・オペラ座のすべて」はなんと上映時間160分ほどもある長尺もの。ルイ14世が、王の権力と熱情でもって創りあげた世界最古のバレエ団、パリ・オペラ座の、21世紀の今日に生きるその全貌が露わになる。Dancerだけで総勢154名、’08年の総人件費が約160億円、これはオペラ座全予算の半分を占め、国からの補助金とほぼ同額であるという。さまざまなレッスン風景が繰りひろげられ、スタッフたちの仕事ぶりや、劇場の構造、隅々至る所までもが映像として挿入されていく‥。

なにしろ物語とてなにもない、ただひたすらあらゆる細部を重畳するに徹して、オペラ座の全貌に迫ろうというものだから、睡眠不足が習い性となっている私などには、エトワールたちの稽古風景などでは大いに惹きつけられるものがあったとしても、やがてうとうとと舟を漕ぐ始末で、後半にいたってはかなりの部分を見逃してしまったようである。

今日は午後から、RYOUKOの事故当時の運転手であったM氏と久しぶりに会談。民事訴訟MKタクシー側弁護士に、事故状況等について聞かして欲しいと呼び出されたのが2日だったとかで、いわばその報告。

此方は事故相手方のTとMKタクシー双方をともに告訴しているのだが、あくまで過失ゼロを主張するT側と、同じ被告でありつつもMKタクシー側とのあいだに利害の相反する対立点が生じてきており、さしあたりは双方の過失の度が問題の焦点になってきているようで、この展開は此方の望むところである。場合によっては、一向に埒があかない検察の審理を尻目に、今後この民事で、ドライブ・レコーダーの記録も活きてくるやしれず、あるいはTの証人尋問といった場面まで起こってくるかもしれない。

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