水のんでこの憂鬱のやりどころなし

Db070510061

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月13日の稿に
12月13日、曇、行程4里、大牟田市、白川屋

昨夜は子供が泣く、老爺がこづく、何や彼やうるさくて度々眼が覚めた、朝は早く起きたけれど、ゆつくりして9時出立、渡瀬行乞、三池町も少し行乞して、善光寺へ詣でる、堂塔はみすぼらしいけれど景勝たるを失はない、このあたりには宿屋−私が泊まるやうな−がないので、大牟田へ急いだ、日が落ちると同時に此宿へ着いた、風呂はない、風呂屋へ行くほどの元気もない、やつと一杯ひつかけてすべてを忘れる。‥ -略-

冬が来たことを感じた、うそ寒かつた、心細かつた、やつぱりセンチだね、白髪のセンチメンタリスト! 笑ふにも笑へない、泣くにも泣けない、ルンペンは泣き笑ひする外ない。

夜、寝られないので庵号などを考へた、まだ土地も金も何もきまらないのに、もう庵号だけはきまつた、曰く、三八九庵-唐の超真和尚の三八九府に拠つたのである。-

※表題句の外、5句を記す

−日々余話− Soulful Days-30- 山巓は見えた

MKタクシーに取り付けられていたDrive Recorderに残された事故時の記録動画を証拠資料として、大阪地検に対し再捜査あるべしと要請したのは、4月8日のことだった。

その2週間後には、大阪府警科学捜査研究所に問題の記録動画が持ち込まれた、とも聞いていたのだが、それから半年余りのあいだ、二度、三度と、地検担当検事に「再捜査、分析結果の報告は?」と問えども、「未だし」の回答ばかりで、徒に時日ばかりが過ぎ去っていくのに、科捜研は一体やる気があるのか、このまま放擲されっぱなしで済まされようとしているのでは、などと猜疑心に襲われることもしばしばであった。

だが、昨日、ようやく地検から連絡、「府警から再捜査の報告が上がってきたので、11月中あるいは遅くとも12月には、審判を下せるだろう」と担当検事。さすがに私の胸も高鳴った。

かたわら、現在進行中の民事訴訟では、事故車同士のMK側とT側、被告双方のあいだで、過失の有無について意見の対立がみられる、という。あくまで無過失を主張するT側に、そりゃないだろうとMK側は一定の過失を認めさせようとしているそうだ。

先日、MK側弁護士は、M運転手から事故状況を聴取し、T側にも大いに過失ありきの感触をもっているらしい。さらに、M運転手が持ち込んだDrive Recorderを見て、Tの無灯火運転は明白だと言い、証拠としてきわめて有効だとも言ったそうだ、とこれはM運転手からの情報。

夜間のこととはいえ、見通しのよい広い交差点での事故、直進車の相手方にもそれ相当の過失がなければ、死亡にいたるまでの衝撃に遭うまいものを、それをなぜだか自分は無過失だと言いつのる相手方に、嘘の仮面だけは剥がしてやらねばならない、とずっとそう思ってきた。

相手を憎んでなんかいない。人として腹立たしいばかりだが、その先にあるのは憎悪じゃない、むしろ軽蔑が似つかわしい。
いずれにせよ、年内にも、待ち望んできた結果が、明々白々の事実が、われわれの前に露わになる。

人気ブログランキングへ −読まれたあとは、1click−