夕闇のうごめくは戻る馬だつた

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Information – 四方館のWork Shop
四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。
場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月14日の稿に
12月14日、晴、行程4里、万田。苦味生居、末光居。

霜がまつしろに降りてゐる、冷たいけれど晴れきつてゐる、今日は久振に苦味生さんに逢へる、元気よく山ノ上町へ急ぐ、坑内長屋の出入はなかなかやかましい-苦味生さんの言のやうに、一種の牢獄といへないことはない-、やうやくその長屋に草鞋を脱いだが、その本人は私を迎へるために出かけて留守だつた、母堂の深切、祖母さんの言葉、どれもうれしかつた、句稿を書き改めてゐるうちに苦味生さん帰宅、さつそく一杯二杯三杯とよばれながら話しつづける、−苦味生さんには感服する、ああいふ境遇でああいふ職業で、そしてああいふ純真さだ、彼と句とは一致してゐる、私と句が一致してゐるやうに。-略-

夜は苦味生さんの友人末光さんのところへ案内されて泊めていただいた、久しぶりに田園のしづけさしたしさを味はつた、農家の生活が最も好ましい生活ではあるまいか、自ら耕して自ら生きる、肉体の辛さが精神の安けさを妨げない、-略-

さびしいほどのしづかな一夜だつた、緑平さんへ長い手紙を書く、清算か決算か、とにかく私の一生も終末に近づきつつあるやうだ、とりとめもない悩ましさで寝つかれなかつた、暮鳥詩集を読んだりした、彼も薄倖な、そして真実な詩人だつたが。

我儘といふことについて考へる、私はあまり我がままに育つた、そしてあまり我がままに生きて来た、しかし幸にして私は破産した、そして禅門に入つた、おかげで私はより我がままになることから免れた、少しづつ我がままがとれた、現在の私は一枚の蒲団をしみじみ温かく感じ、一片の沢庵切をもおいしくいただくのである。

※表題句の外、12句を記す

―表象の森― Goodbye、ALTI‥

’91年から’00年まで毎年、隔年開催になったのは’02年からで、延べ14回、20年近く続けられてきた公募形式による「ALTI BUYOH FESTIVAL」が、一人の個人の死を契機としてどうやら終止符がうたれようとしている。

その個人とは船阪義一氏、昨年の6月29日、心臓動脈瘤破裂のため急逝した。元来は照明家であった彼が、その職業柄、関西の舞踊家たちの活動に広く目配りの利いた所為もあってと思われるが、京都府民ホール・アルティがオープンしてまもなく企画され、ディレクターとして地道に下支えをしてきたものだ。

思うに、この事業に入れ込んだ彼の奮闘ぶりなくしては、抑も成し得なかったであろうし、またこうまで持続し得なかっただろう。そしてそれゆえにこそ、彼の急逝をもって、一時代を画したとも言い得る「ALTI BUYOH FESTIVAL」も泡沫と消えゆくのだ。

それほどに、この国の、公共的文化事業というもの、なべて個人の負託に依っていることがあまりに多過ぎるし、いつまでたってもこの弊から抜け出せないでいる。

あな無惨やな、‥

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