縫うてくれるものがないほころび縫つてゐる

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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30 Space : 弁天町市民学習センター

愈々、明日に迫ったDANCE CAFEだが、偶々、毎日新聞の今夕刊「万葉のとびら」に採られた歌は、有間皇子
「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む」

大津皇子と同じように、謀反の罪に捕らえられ、悲運の死を遂げたのは紀州藤白坂-現在の和歌山海南市-、658年のことだが、これは大津の死に先立つこと26年だ。
蘇我赤兄に謀られた孝徳天皇の子、有間皇子を死に追いやったのは中大兄皇子、後の天智天皇だが、
天武天皇崩御の直後、謀反の疑いをかけられ賜死した大津皇子は、叔母にあたる鵜野讃良皇女-後の持統天皇-が自身の子、草壁皇子皇位に即かせるために謀ったとされる説が有力だ。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-13-
1月9日、雨、曇、晴、曇、雨。

起きると、そのままで木炭と豆腐とを買ひに行く、久しぶりに豆腐を味はつた、やつぱり豆腐はうまい。

あんまり憂鬱だから二三杯ひつかける、その元気で、彼女訪ねて炬燵を借りる、酒くさいといつて叱られた。
帰家穏坐とはいへないが、たしかに帰庵閑坐だ。

昨夜も今夜も鶏が鳴きだすまで寝なかつた、寝られなかつた。

※表題句の外、3句を記す

−四方のたより− 「鎮魂と飛翔-大津皇子」二上山の章Scene.7
「山越の阿弥陀

 光り、始源の
 響き、生誕の
 山の端に伸しあがる日輪の思われる
 金色の雲気

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