何か捨てゝいった人の寒い影

Dancecafe081226176

−日々余話− たかが一枚の写真、されど‥

昨日、逝き去りし人々を綴りながら思い出したことなのだが‥。

森繁久弥が96歳の大往生を遂げたのは11月10日だったが、政府官邸は故人に国民栄誉賞を贈ることを決め、その表彰式が暮れも押し迫る頃に執り行われたという記事の、これに添えられていた写真を眼にして、どうにも腑に落ちぬ、違和を抱いてしまったのであった。

総理官邸で行われるのが通例というこの表彰式に、故人の次男を筆頭に孫やひ孫らがこぞって出席するということ自体は、なにを言うほどのこともない、晴れの慶び事を家族みんなで享受することに、誰も異論を唱えようとは思わないだろう。

だが、鳩山総理を中央に、平野官房長官や川端文科相ら政府高官が列したなかに、孫ひ孫までうち揃って麗々しく並んだ記念撮影の写真が、報道写真として政治経済総合面に掲載されるというのは、ちょいとおかしいんじゃないのかと私などは思わざるをえないのだ。

森繁といえば、それまでいささか癖のある芸風の喜劇俳優だった彼が、老若男女万人に親しまれる好々爺のイメージが定着するようになったのは、TVのホームドラマ七人の孫」-'64〜'66-あたりからだろう。そんな森繁イメージを髣髴とさせるがゆえ許容された報道写真であったかとも見なしうるが、その姿勢、たかが一枚の報道写真なれど、やはり首を傾げたくなる。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-19-
1月15日、晴、三寒四温といふがじつさいだ。

少々憂鬱である-アルコールが切れたせいか-、憂鬱なんか吐き捨ててしまへ、米と炭と塩があるぢやないか。
夕方からまた出かける-やつぱり人間が恋しいのだ!-、馬酔木さんを訪ねてポートワインをよばれる、それから彼女を訪ねる、今夜は珍しく御機嫌がよろしい、裏でしよんぼり新聞を読んでゐると、地震だ、かなりひどかつたが、地震では関東大震災の卒業生だから驚かない、それがいい事かわるい事かは第二の問題として。

けふは家主から前払間代の催促をうけたので、わざわざ出かけたのだつたが、馬酔木さんにはなんとしてもいひだせなかつた、詮方なしに、彼女に申し込む、快く最初の無心を聞いてくれた、ありがたかつた、同時にいろいろ相談をうけたが!

彼女のところで、裏のおばさんの御馳走−それは、みんなが、きたないといつて捨てるさうなが−をいただく、-略- 何といふ罰あたりだらう、じつさい、私は憤慨した、怒鳴りつけてやりたいほど興奮した。

今日で、熊本へ戻つてから一ヶ月目だ、ああこの一ヶ月、私は人に知れない苦悩をなめさせられた、それもよからう、私は幸いにして、苦悩の意義を体験してゐるから。

※表題句の外、8句を記す

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