日向ぼつこする猫も親子

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Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。
場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

−表象の森− つづいて「石川九楊」を読む

図書館からの借本、近代書史論と副題された「書の終焉」-同朋舎刊1990-を、やっと読了。

著者は、戦後-昭和20年頃〜40年代半ば-の書について、
この時期に書の表出史が明らかにするところは、書が<字画>であることを止めて<書線>へ転化したことである。言葉=文字を書き留めること、<字画>を書き留める段階を脱して、書は<書線>へと転じようとするのだ。墨象といって最初から文字を書かない作品は別にして、前衛書といっても、そこでは文字が書かれているはずだととして接近すれば、記されている文字を了解できないわけではない。むろんその臨界を突破していて題名や作者の解説なしでは判読できないものも少なくないのだが。「<書線>へ転化した」と書く意味は字画が従来通り<字画>として現れるのではなく、<書線>によって自己自身を表出しようという字画段階、つまり<書線>の編成が字画のような貌立ちで現れるのだという意味だ。

ここで<字画>と呼ぶのは、言葉に奉仕するために自己否定的ベクトルをもった字画、筆画を指し、<書線>と呼ぶのは、言葉に奉仕するよりも自己の存在を拡張しようとする方向を指す。その事実を厳密に言えば、書の歴史的誕生は<字画>とのずれをもつ<書線>の誕生を意味している。だが、現代に至るまでは、この<書線>性は<字画>性の支配下にあり、<字画>に統括されていた。言葉=文字を書いた場に、いくらかの度合<書線>性が貌をのぞかせていたのだ。ところが現代、とくに戦後、表出の尖端は文字を書いた場に同伴した書を、書=<書線>を書き表す場に文字を同伴させるという逆転を実現してしまった。書は<書線>であると短絡的に読み替えることによって、戦前とは較べものにならない多種多様な戦後前衛書は生まれた。

いったん<書線>と読み替えられた字画は、これを<運動>と<色彩>に、結構を-字画構成-を<構成>と読み替える。前後前衛書は、この解体過程を実証する実験作品群を指していると言ってもいい。

さらに、昭和40年代半ば〜現在に至る書については、
およそ前衛書、戦後書の方向には、前述の<運動><図形><構成><色彩>への四つの極点に抽象化していくしかない、つまり書は影も形もなくなって、「画像」美術の一つに転化するしかないと潜在的に気づかれ始めた時期が昭和40年-1960年代半ば-頃以降ではないだろうか。60年以降、前衛書は急速に影響力を喪って失速する。書が書であることの臨界状態にあることが意識下で感じられ始めたのではないかと思われる。

書は言葉=<字画>を書くことに同伴して生まれた以上、絶えず<字画>の範疇にひきとどめようという力が根底で働いている。だが、<字画>性を感じさせる書は、その<字画>性のゆえに、濁り、臭気を放ち不徹底なステージ-段階-にとどまる。すでに書の歴史が長い年月をかけて蓄積し、臨界状態に達した<書線>性が一気に崩壊するとはとても考えられない。

現時点において、<字画>性に戻ろうとする営為は、おそらくひとつの一過性のエピソードを線香花火のように残して消え去っていく。なぜなら現在において<字画>性を復権するならば、必ず書として古風な段階に退行し、書として何事であろうとすれば、<書線>性の上に<字画>性を僭称し、偽装するしかないからだ。偽装は必ず剥がれて<書線>性を露出しようとする。<書線>性を否定しようとして再び<字画>性を偽装しようとする。書として見所をもちながら<字画>性を回復しようとすれば、必ずこの堂々めぐりの中に落ちていく。いわば、書としての魅力、書としての価値を押し上げようとすると、書という範疇から食み出していくという書の危険な臨界状態である。書という範疇に踏みとどまれば、それはもはや書の歴史が蓄積してきた書の価値を湛え圧し上げることができないという、いささかミステリアスな倒錯した事態である。

という著者は、本書「近代書史論」を西郷隆盛の書から説き始める。
西郷隆盛の書の見所は、幕末維新の壮大な熱気が伝わってくるような連綿草-次々と文字が連続している草書体の書-の書にある。「山行」の書を見てみよう。どろどろと粘りの強い線は円を圧し潰したような形でぐねぐねと蛇行する。字画は太くなり細くなり、速度は速くなり遅くなる。上から下へ、左から右へ、右から左へと強い摩擦<筆触>で字画が書かれ、はねられ、はらわれていく。書線のかすれは<筆触>の強さを暗示している。字画が綴られ連綿が続けられていく方向や角度は雄壮な変化に富んでいて決して定型的ではない。文字形もまた長く伸び短く縮み、左に傾き右に倒れ、文字の寸法は大きくなり、また小さくなり次々と姿を変えていく。文字の黒々とした印象が強くいつまでも残る。国家や国民の行く手を背負っているという時代の重力の自覚や使命感がこの種の気負った、だが上すべりのない<筆触>の中に歪力を書き込んだ存在感の強い書を作り上げるのだろうか。

西郷隆盛ら明治の元勲たち-大久保利通木戸孝允山岡鉄舟福沢諭吉等-の書が誕生した時、日本書史上において初めて作者の情念が書に描き出された。書の中に情念という名の自我が躍り出たのだ。やや違った意味で、江戸期の僧、良寛や慈雲、白隠、画家・池大雅ら、いわば自由人の書の中にこれらの自我の表出は発芽していたもののいまだ開花には至っていなかった。西郷や大久保らは、その革新的意志や思想や情念をスタイル-書体-として表出することを意識的にか無意識的にか実現した。いわば書の歴史的ステージ-段階-をねじまげたのだ。書は文字をある様式に従って綴るだけのものではなくて、ねじれた<筆触>の中に情念を盛り込むことになった。この事実の中に「維新元勲の書」が大衆に熱っぽく歓迎された理由がある、と。


―山頭火の一句―
「三八九-さんぱく-日記」より-23-
1月19日、けふもよい晴れ、朝湯朝酒、思無邪。

朝湯の人々、すなはち、有閑階級の有閑老人もおもしろい、寒い温かい、あゝあゝあゝの欠伸。

濁酒を飲む、観音像-?-を買ふ、ホウレン草を買ふ。

元寛さんを訪ねて、また好意に触れた、馬酔木さんに逢うて人間のよさに触れた。

※表題句の外、14句を記す

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