ラヂオでつながつて故郷の唄

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−表象の森− 筆蝕曼荼羅−明代の書

石川九楊編「書の宇宙-№17-文人という夢・明代諸家」二玄社刊より

東アジアでは、画は書に含まれる、書の一変種である。書の表現の要である筆蝕は、画の筆蝕へと枝分かれし、書を書くように、画を描くことが始まつた。その筆蝕の分化を通じて、書の筆蝕もまた幅を広げ、「アタリ」や「コシ」の行儀良さを超える直接的、比喩的にいえば絵画的筆触をも大幅に含み込むことになり、書はずいぶんと画と化した。同時に、書から生まれた画の方は、いつまでも書との臍帯を絶つことができずに、文人画、水墨画という、西欧のようには対象を描かず、色彩もさしたる意味をもたず、西欧画の観点からいえば絵画とはとうてい考えられないような特異な絵画とその歴史を生むことになったのである。

祝允明「杜甫秋興詩」

明代に、書の表現領域は大幅に拡張された。筆を開ききった展度の筆触、筆毫の捩れをものともしない捻度の筆触、開いた筆を強引に回転する筆触、ねじこみ、こすりつけるような筆触、力を内に貯めた厳しい筆触、ピシッと打ち込まれる点、なめらかな筆触の舞い‥。

祝允明の杜甫秋興詩は、速度、深度、角度、さらには展度や捩度-Twist-、捻度-Drive-など、筆触のあらゆる可能性が解放されている。戦後前衛書道並の表現といっても言い過ぎではなく、伸び、縮み、右に倒れ、左に倒れる構成展開の妙味、等々‥。

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昆明池水漢時功。武帝族旗在眼中。/織女機絲虚夜月。石鯨鱗甲動/秋風。波漂菰米沈雲黒。露冷蓮房/墜粉紅。關塞極天唯鳥道。江湖満地/一漁翁。 枝山。<米>の第1、第2画などは、起筆や点を打つときのピシッという音が聞こえ、筆毫の開く様子が見えるようであり、<鳥>や<湖><翁>などでは、無理に筆毫を捩り回転させる。<月>の、打ち込んで擦過するような書きぶりは、この時代になって初めて表現されるようになった、絵画的筆触である。ほとんど行間が見えず、行が明瞭に立ち上がらないが、これも絵画的構成の書への侵入である。


―山頭火の一句― 行乞記再び -13-
1月4日、晴、行程わづかに1里、金田、橋元屋

朝酒に酔つぱらつて、いちにち土手草に寝そべつてゐた、風があたたかくて、気がのびのびとした。
夜もぐつすり寝た。
此宿の食事はボクチンにはめづらしいものだつた。

※表題句は、前日記載のもう一つの句。

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