松に腰かけて松を観る

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−日々余話− 澪標、一枚の原稿

毎年2月の第1土曜日を開催日と定め、今年は3度目となった新年会。2月6日の夕刻、所は梅田界隈のがんこ阪急東通店、集った期友36名、総会に比べるととけっして多くはないが、一年振りの語らいの宴に和気藹々と思い思いの談笑に花を咲かせた。

私たち高校15期生の同窓会は「市岡15期会」と略称している。十五の春の高校入学から数えればすでに半世紀を経た―なんと今春の新入生は65期生となるのだ―が、今から7年前、卒業40年紀となった総会開催を機に、幹事会も拡大充実、同窓会の活動がずいぶんと活発化している。

総会は3年毎開催を一応の目安にしているが、年毎に例会あるいは冒頭に紹介のごとく新年会を催し、さらには期友同好の集いも生まれ、春秋開催のゴルフの会や、近郊の山野旧跡を訪ね歩く会が隔月ペースで催されるなど、横の繋がりは歳経るほどにひろがり、また密なものにもなってきている。むろんクラス別においても同窓会を催す例はさまざまあり、幹事会席上その報告に接することもしばしばである。

こうして期友と接することの重なるにつれ、65歳のそれぞれの来し方、とりどりの半生が固有の色を帯び、くっきりと像を結んでは縒り合わされ、やがて一枚の布へと織りあげられてゆく。それは絢爛豪華などという形容からはまるで遠いものだが、青春の残照に映えて美しくまた哀しく、愉しくおもしろくまた時に苦くもあり、歳古ればこその滋味あふれた図柄を顕す、唯一無二、それぞれのたった一枚の画となり胸深く刻み込まれていくのだ。

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Photo/新年の宴模様-09年-


―山頭火の一句― 行乞記再び -26-
1月19日、曇、行乞2里、唐津市、梅屋

午前中は浜崎町行乞、午後は虹の松原を散歩した、領巾振山は見ただけで沢山らしかつた、情熱の彼女を思ふ。

唐津といふところは、今年、飯塚と共に市政をしいたのだが、より多く落ちつきを持つてゐるのは城下町だからだらう。

松原の茶店はいいね、薬罐からは湯気がふいてゐる、娘さんは裁縫してゐる、松風、波音。‥
受けとつてはならない一銭をいただいたやうに、受けとらなければならない一銭をいただかなかつた。
行雲流水、雲のゆく如く水の流れるやうであれ。-略-

虹の松原はさすがにうつくしいと思つた、私は笠をぬいで、鉄鉢をしまつて、あちらこちら歩きまはつた、そして松−松は梅が孤立的に味ははれるのに対して群団的に観るべきものだらう−を満喫した。

げにもアルコール大明神の霊験はいやちこだった、ぐつすり寝て、先日来の不眠をとりかへした。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/領巾振山から見た虹の松原

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Photo/領巾振山こと鏡山

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Photo/佐用姫岩から望む鏡山

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