山へ空へ摩訶般若波羅蜜多心経

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−四方のたより− 推参!「咲RUN成田屋

この月半ばから、Ayaがイギリスへと旅立つ。行先は西部のウェールズ地方とか、2ヶ月余り滞在してくるといっている。

ならば、送別会代わりに何かないかと考えて、ちょうど頃合いもよしとばかり、デカルコ・マリィたちの成田屋路上Performanceに押しかけて踊ることにしよう、ということになった。踊りのあとは、しばし別れの飲み会となって、またとない餞別となろう。

と、そんな次第で、明日の「咲RUN成田屋」にはAyaも推参、いつもの面々に加えての飛入り出演となる。

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―山頭火の一句― 行乞記再び -27-
1月20日、曇、唐津市街行乞、宿は同前

9時過ぎから3時頃まで行乞、今日の行乞はは気分も所得もよかつた、しみじみ仏陀の慈蔭を思ふ。

ここの名物の一つとして松露饅頭といふのがある、名物にうまいものなしといふが、うまさうに見える-食べないから-、そしてその本家とか元祖とかいふのが方々にある。

小鰯を買つて一杯やつた、文字通り一杯だけ、昨夜の今夜だから。

晩食後、同宿の鍋屋さんに誘はれて、唐津座へ行く、最初の市議選挙演説会である、私が政談演説といふものを聴いたのは、これが最初だといつてもよかろう、何しろ物好きには違ひない、5銭の下足料を払つて11時過ぎまで謹聴したのだから。

※表題句の外、1句を記す

文中、山頭火が「政談演説を聴くのは最初だ」というのに些か怪訝な思いがした。というのも近在きっての大地主であった防府時代の種田家の当主であった山頭火の父竹治郎は、明治後半から大正期、当時の資産家地主らにありがちだったのは、地方政治家などのパトロンとなって放蕩や贅沢を繰り返し家産を傾ける者が多く、彼には女道楽もあるにはあったが、いわば政治家のタニマチ筋としてずいぶん活躍したらしく、大種田没落の主因はこちらのほうであった筈だからだ。

だが、山頭火が上京して早稲田に通うようになった頃は、すでに学資の送金も滞りがちであったとされるから、竹治郎もかようなパトロンどころではなく、そんなタニマチ世界からはもう遠離っていたのだろう。山頭火の少年期の記憶のうちにそんな父親像が残っていたとすると、初めてという演説会に接しながら、ふと父親のことが脳裏に浮かんでは、複雑な想いが去来したのではなかったか‥。

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Photo/現在の唐津市街を遠望する

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Photo/唐津名代の松露饅頭


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