松風のよい家ではじかれた

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−表象の森− SatieもPaganiniも

いつもの稽古だが、いつもとは違う、今日の稽古でAyaは2ヶ月あまり遠離ることになるのだから、入念にとはいかないまでも、しっとりした気分で、いい時間が送れればいい。

Ayaはちょつぴり昨日の疲れを残し、Junkoにいたってはとくに3月はじめからずっと残業ばかりの仕事の疲れを貯めに貯め込んで鉛のように重くなった身心といった気配が否応なく伝わってくる。

こんな状態では稽古になる筈もない、のだけれど、どっこいそんなことはない。
Satieもいい、Paganiniも、これまたとてもいい。

Satie、即興とはいえ、動きを工夫していくことにかけては、その契機となりうるあらゆる音の刺激が、それはもう次から次へと繰り出されてくる。だからボロ布のような状態の身心においても、音が鳴り出すとちゃんと点火のスイッチがONになる。

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Paganiniの難曲と云われる「24Capricci」、これは神尾真由子の演奏のものを使っているが、このヒステリックなまでの超絶技巧のViolin曲は、いま凝っている石川九楊の書史論に重ねれば、あらゆる多折法を含み込んだ無限微動筆蝕の世界に擬えようか。とにかく凄い、過激なまでに想像力を羽搏かせ、即興世界を未到のものへと誘い出してくれるような、そんな力がある。

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今日も SatieとPaganiniのお蔭で、ちょっといい稽古になった。


山頭火の一句― 行乞記再び -29-
1月22日、晴、あたたかい、行程1里、佐志、浜屋

誰もが予想した雨が青空となつた、とにかくお天気ならば世間師は助かる、同宿のお誓願寺さんと別れて南無観世音菩薩。‥

ここで泊る、唐津市外、松浦潟の一部である、このつぎは唐房−此地名は意味深い−それから、湊へ、呼子町へ、加部町へ、名護屋へ。

唐津行乞のついでに、浄泰寺の安田作兵衛を弔ふ、感じはよろしくない、坊主の堕落だ。
唐津局で留置の郵便物をうけとる、緑平老、酒壺洞君の厚情に感激する、私は−旅の山頭火は−友情によつて、友情のみによつて生きてゐる。

  • 略- 松浦潟の一角で泊つた、そして見て歩いた、悪くはないが、何だかうるさい。-略-

緑平老の肝入、井師の深切、俳友諸君の厚情によつて、山頭火第一句集が出来上るらしい、それによって山頭火も立願寺あたりに草庵を結ぶことが出来るだらう、そして行乞によつて米代を、三八九によつて酒代を与へられるだらう、山頭火よ、お前は句に生きるより外はない男だ、句を離れてお前は存在しないのだ! -略-

※句作なし、表題句は1月19日記載の句

ここに触れられている、安田作兵衛とは何者かと探ってみれば、宝蔵院流の槍の使い手で、明智光秀の家臣斉藤利三の配下として、本能寺の変織田信長に一番槍をつけ、森蘭丸を討った武将らしく、此の時弱冠21歳。ところがこの男、その後の有為転変がなかなかに揮っており、エピソード満載の御仁のようだ。その最後は旧知の間柄だった唐津藩主8万石藩主沢広高の元に身を寄せていたが、頬に酷い腫物を患ってしまい、これを琴の糸で縛って3度抜き取ろうとしたがうまくいかない、はるばる草津の湯にまで湯治に出かけたもののこれまた治らず、挙句の果て怒って自害した、という。なんとその命日が6月2日、奇しくも本能寺の変が起こった日、これが因果応報とばかり信長や蘭丸を殺した酬いだと後世の語り草となったようだ。以下のサイトに詳しい。
http://www.geocities.jp/ukikimaru/ran/jiten/yasudasakubei.htm

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Photo/浄土宗知恩院派、清涼山浄泰寺

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