城あと茨の実が赤い

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※表題句は1月24日記載の句

−日々余話− Soulful Days-34- 若い検事と弁護士と

一昨日は、大阪地検へ参上して若い気鋭の検事と面談、午前10時から1時間半に及ぶ。
二日おいて今日も午前10時から、これまた若い国選弁護人と面談、此方は被告のMとともにだったからさらに時間を要してほぼ2時間。

被告Mの自動車運転過失致死傷事件の刑事裁判は、すでに第1回公判期日を5月7日に行うと決まっている。
まず検事と面談したのは、公判への被害者参加制度に則り、被害者遺族として裁判に臨むことを意思表示していたからだ。電話の声で察していたようにW検事は、審理段階の検事とはうってかわって、とても若い。少壮の青年検事という雰囲気だけに正義感に燃える理想家肌、原理原則を尊ぶといった気概が、言葉を交わすあいだに充分感じられた。

私がこの裁判に積極的に参加しようというのは、被害者遺族の立場から被告Mを強く告発したいからではなく、その真逆、彼を弁護し、なんとしても量刑の軽減を計らねばならぬ、むしろ被告席に立つべきはもうひとりの相手Tでなければならぬと、そう確信しているからだ。

地検の審理段階で、Mには減刑の嘆願書を出し、事故の重大な過失はTの無灯火と脇見にあると主張し、Drive Recorderを証拠資料として詳細に分析せよと、Tを告訴したにもかかわらず、結果は、事故当初から西署によって作成された調書がなんら見直されることもなく、この告訴によって動いたことといえば、検察当局としては審理の初期において、Tを不起訴に、Mには略式起訴で罰金刑に、と予断されていたにもかかわらず、Tを略式起訴に、Mには公判請求を、と相対的に量刑が嵩上げされるという、われわれ遺族が望みもしない結果を招来してしまったのだった。この結果については忸怩たる思いに囚われるのみで、一旦出来上がってしまった捜査当局の調書に改変を迫ることなど願うべくもなく、やはり捜査の壁、検察の厚い壁を前に、こちらの無力感ばかりがつのってはやり場のない思いに立ち往生といった躰だった。

そんなところへ届いたのが5月7日の公判期日の知らせ、ならば私に残された為すべきことといえば、なんとしてもMに下される刑を軽微なものにしなければならぬ、これに全力を注がねばならぬと思い定めての、一昨日と今日、検事と弁護人、相反する二者との面談だった。

今日会った若い国選弁護人、彼は、私のこうした振る舞い自体、本来ならMを訴追する検事側に立って、厳罰をと望むはずの被害者遺族が、まったく逆の立場で執拗に発言を繰り返すのに、戸惑いを隠せぬといった様子だった。考えてみればそれも無理はない。検事のほうは、審理段階から私が何を言い、どういう立場を採ってきたか、検察内部での申し送りもあれば、私が出した書面などの資料もあるから、予め予備知識がある。かたや現在のところ弁護人が知り得る材料は、検察より裁判所へ提出された訴追資料しかないのだから、面喰らうばかりというのも肯けることではある。ではあるが、事前にMを通して私も同席するからと伝えてあったのだから、もう少し想像力を働かせてしっかり腹を据えておけ、と言ってみたくもなるほどに、彼の応接はテキパキともせずまだ理解がついてこぬといった感に終始した2時間だった。

それにしても、交通事故における甲乙二者の過失に対する相対主義というあり方、それ自体が私には解らぬ、どうしてそうでなければならないのか。

これがたんに民事における損害賠償問題を解決しなければならない場合、過失割合を云々し、それに応じた賠償責任を互いに負担し合わなければならぬから、相対主義にならざるをえないだろうが、刑事責任を問おうとする場合、もちろん双方に過失が存在するであろうことはまちがいのない事実ではあろうけれど、警察の捜査や検察の審理が100%の事実関係を洗い出せるはずもないのに、帳尻を合わせるかのごとく合理性を求めて相対主義になぜ固執するのか。だからこそ、その結果、却って関係者各様に堪えきれぬような不条理な結末を負わせることになるのではないか、そう思えてならぬ。

ことここにいたって、私の思うところはこうだ。
Tの無灯火や脇見は、たしかに非常に疑わしい、疑わしいにちがいないが、これを完全に立証することは、これまた非常に困難でもあろう、さらにいまさら彼の供述を覆させることもまた難しい、したがってTに対しては、疑わしきは罰せずと落着させるしかない。彼が事実とは異なる軽微な罪で済んだとしても仕方がない、彼には別の反省の機会を求めようと思う。

さてMは、無灯火も脇見も疑わしいとはいえ立証ならず、Tが軽微な罪で落着したのだから、やはりMの過失は重く、その罪も過失相当に重くならなければならぬと、事態はこう運んでいるわけだが、そんなバカなことはない、相手には無灯火や脇見の疑いがどうしても残るのだ、ただ罰せないだけなのだ、当然に彼の問われるべき罪は軽微なものにならなければ、それこそ冤罪にも等しいことになるではないか、こんな不条理はとんでもないというものだ。


−表象の森− 清代諸家-古代への憧憬-3
石川九楊編「書の宇宙-22」より<逆入平出法>
無限折法=無限微動筆蝕は、<逆入平出>というひとつの定法を獲得することになった。<逆入平出法>とは、字画を書くときに、起筆部は逆筆にし、字画の前半部は「押し-筆尖先行、筆管後行の力と筆蝕の態様をいう-」、後半部は「引く-筆管先行、筆尖後行の力と筆蝕の態様をいう-ところの、一般的な書字法とは逆の書字運筆法である。
この書法を用いて、粘着質の強靱な筆蝕からなる、いわば脂っこい重々しい書が生れてくる。趙之謙の「楷書五言聯」などはその代表例である。

この逆入平出法によって筆尖と紙との間に生じる筆蝕の微細な劇を生き生きと想像するためには、セルロイドの下敷を手にして、机にひとつの字画を描くことを想像するとよい。「引く」ことに主律される「前半引き・後半押す」の一般的な順法においては、下敷は机を撫でるように進み、押し込むように終る。これに対して、「押す」ことに主律される「前半押し・後半引き」逆法においては、下敷は強くたわみ、「押す」ことによってガタガタガタと常法では生じない振動を始め、引き抜くように終る。いわば、この逆入平出法なるものは、筆尖を細かに振動させる無限折法=無限微動筆蝕を作りあげるための、一種の自動装置である。この書法に従えば、自動的に苦もなくきめ細かく微動する無限折法=無限微動筆蝕に近い筆蝕が得られるのだ。

・陣鴻寿-Chinkouju-1768-1822
「隷書五言聯」
水平や斜めに直線的に大胆に伸びる筆蝕が快い、魅惑的な隷書の作。
書の構成は、金農−伊秉綬−陣鴻寿のつながりで考える事ができる。それでも痩せた書線、水平に長く伸びた構成は、固有の表現。逆入蔵鋒などの小うるさい書法に拘泥せず、伸び伸びと書かれている。<蘊>などの艸部の軽やかな筆蝕、
糸部の愛くるしい図形的構成。<真>の第2画の収筆から第3画の起筆へ連続する滑らかな筆蝕、同第8画や<遇>の最終画のさっとペンキを刷毛塗りしたような伸びやかな筆蝕が見所。

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/蘊真陿所遇/振藻若有神

「蘇軾詩」
1960年代、日本の書壇で陣鴻寿風の書が流行したことがあるが、この書などいかにも現在の書展で条幅作品としてお眼にかかるような世界。構成は王羲之を拡張した宋代の黄庭堅らの構成を基盤にしながら、これをさらに拡張させている。たとえば<繁枝>に見られるように、潤渇-とりわけ極限に近い渇筆-の意識的構成に、現代書に通じる企図的表現が覗える。

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/湖面初驚片〃飛。尊前吹折
/最繁枝。何人會得春風意。
/怕見梅黄雨細時。

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