水音の梅は満開

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−日々余話− 寡黙なる巨人の訃報

  おれは新しい言語で
  新しい土地のことを語ろう
  むかし赦せなかったことを
  百万遍でも赦そう
  老いて病を得たものには
  その意味がわかるだろう
  未来は過去の映った鏡だ
  過去とは未来の記憶に過ぎない
  そしてこの宇宙とは
  おれが引き当てた運命なのだ

   −「新しい赦しの国」-詩集「歌占」より-

多田富雄の訃報を知ったのは22日の朝刊だった。それは全国版の社会面だったが、その記事の、意外に小さなことに、少しばかり驚かされた。
'01年に脳梗塞で倒れ、重い右半身麻痺と言語障害の後遺症を抱えた闘病生活のなかで、エッセイなど多くの著書を世に出した。

「免疫の意味論」と「生命の意味論」は、免疫学者として優れた業績を残した彼の生命理論だが、共に好著。

他に、私自身の読書録を振返れば、「生命へのまなざし-多田富雄対談集」、中村雄二郎と共編の「生命-その始まりの様式」、柳澤桂子との往復書簡「露の身ながら」、それに少年時代から小鼓を嗜み、晩年は数本の新作能をものした彼の能関連のエッセイ「能の見える風景」や「脳の中の能舞台」などがある。


―山頭火の一句― 行乞記再び -40-
2月1日、雨、曇、行程4里、千綿-長崎県-、江川屋

朝風呂はいいなあと思ふ、殊に温泉だ、しかし私は去らなければならない。

武雄ではあまり滞留したくなかつたけれど、ずるずると滞留した、ここでは滞留したいけれど、滞留することが出来ない、ほんにこの世の中はままにならない。

彼杵-ソノギ、むつかしい読みだ-まで3時間、行乞3時間、また1里歩いてここまできたら、降りだしたので泊る、海を見晴らしの静かな宿だ。

今日の道はよかつた、山も海も-久しぶりに海を見た-、何だか気が滅入つて仕方がない、焼酎一杯ひつかけて誤魔化さうとするのがなかなか誤魔化しきれない、さみしくてかなしくて仕方がなかつた。-略-
私はだんだん生活力が消耗してゆくのを感じないではゐられない、老のためか、酒のためか、孤独のためか、行乞のためか−とにかく自分自身の寝床が欲しい、ゆつくり休養したい。

新しい鰯を買つて来て、料理して貰つて飲んだ、うまかつた、うますぎだった。
前後不覚、過現未を越えて寝た。

※表題句の外、2句を記す

長崎県大村湾東岸に沿って大村線が走る。路線距離47.6?、駅数は13、開業は明治31-1898-年だ。

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Photo/大村線の松原〜千綿間の風景

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Photo/彼杵〜千綿間を走る汽車

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Photo/彼杵の本陣跡、今は彼杵神社

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