街はづれは墓地となる波音

Santouka081130022

−日々余話− Soulful Days-35- 子の罪、親の罪

つ−じ−blogとタイトルしたブログがある。プロフイール欄には、先ず氏名-これは間違いなく本名だ-を載せ、つづけて「大阪生まれのぐうたらなウエイクボーダーです。今年でプロ3年目です。ぼちぼちがんばってます。」とある。

更新ペースはいたって気まぐれでのんびりしたものだが、このブログの主、誰あろう、RYOUKOを死なしめた事故の相手、T.Kその人である。

ブログの存在を知ったのは偶然ではない。彼の父親と初めて面談-この折もちろん彼自身を伴ってのことだったが、彼は殆ど言葉らしい言葉を発していない-した時だったが、学生時代からウエイクボードなんてスポーツに嵌って、一年ほど前にプロ資格を取った、とそんなことを父親から聞かされたものだから、どんなスポーツかも知らなかったし、ネツトをググってみたら、当のブログに出会した訳である。
少しばかり拾い読みするだけで、まあ彼というその人となりはおよそ察しがつくし、生活習慣なども見えてくる、それ以上に何か情報を得ることもないから、以後は滅多にこのブログを覗くことはなかったのだが‥。

2.3日前に、ふとそんな気になって久しぶりに覗いてみたら、−イヤ、驚いた、魂消てしまった!

彼の刑事処分が略式とはいえ起訴と決したのは3月19日、簡易裁判所において30万円の罰金と略式命令があったのは3月23日だ。おまけに医師国家試験の合否発表は3月29日であった。
かような大事が連続している渦中に、彼は、このヤツガレは、なんと海外に、アメリカのフロリダで、のんびりと海に遊び呆けていたのである。それも3月16日に日本を発って、まる1ヶ月のあいだ遊びに遊んで、ようやくこの17日ご帰還になった、らしいのだ。

彼は12月に誕生日を迎えてすでに御年29歳だ、もうガキじゃない。それどころか新築高層マンションの46階でペットの犬1匹と優雅な独り住まい、むろん親名義の物件らしいが、4年前に竣工なったばかりのクロスタワー大阪ベイだ。おそらくこのマンション、7.8000万はしたろう代物だ。どこまでも脛かじりのトンデモ坊やだが、この件は先刻承知だったからこの際措くとして、この時期の1ヶ月のフロリダ・バカンスには、もう開いた口が塞がらない、子どもが子どもなら、親も親、どこまでも我が子を世間様の風雨に曝せないこの親の罪は深く、あまりあるというものだろう。

やはりどうしても、この子と親には鉄槌を降さねばならない、−けっして憎悪からではなく。


―山頭火の一句― 行乞記再び -41-
2月2日、雨、曇、晴、4里歩いて、大村町、山口屋

どうも気分がすぐれない、右足の具合もよろしくない、濡れて歩く、処々行乞する、嫌な事が多い、午後は大村町を辛抱強く行乞した。

大村−西大村といふところは松が多い、桜が多い、人も多い。
軍人のために、在郷人のために、酒屋料理屋も多い。
昨日も今日も飛行機の爆音に閉口する、すまないけれど、早く逃げださなければならない。
此宿はよい、しづかで、しんせつで、−湯屋へいつたがよい湯だつた、今日の疲労を洗ひ流す。
何だか物哀しくなる、酒も魅力を失つたのか!

  • 略- 大村湾はうつくしい、海に沿うていちにち歩いたが、どこもうつくしかった、海もわるくないと思ふ、しかし、私としては山を好いてゐる-海は倦いてくるが山は倦かない-。

歩いてゐるうちに、ふと、梅の香が鼻をうった、そしてそれがまた私をさびしい追憶に誘ふた。−-略-

※表題句の外、1句を記す

大村町−現在は大村市だが、その海岸から2km先に浮かぶ簑島には長崎空港とともに海上自衛隊大村航空基地がある。その前身は大正12-1923-年の大村海軍航空隊の開設に始まり、日中戦争における海軍航空部隊の重要な出撃基地であった。降って昭和20-1945-年には特攻隊の出撃基地ともなっており、島尾敏雄奄美群島加計呂麻島に赴任する前に志願し入隊したところでもある。

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Photo/当時の大村海軍航空基地

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Photo/大村市から望む大村湾夕景

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Photo/海の見える大村市松原の棚田風景

市内西本町の国道43号線沿、古くから町民に親しまれた、その名も「山口屋」という老舗の中華料理屋があるが、はたして山頭火が泊ったという旅籠と関わりがあるのかどうか‥。

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Photo/国道沿の中華店山口屋

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