冬雨の石階をのぼるサンタマリヤ

Dc09070793

−表象の森− 和訓=文字の成立
山城むつみ「文学のプログラム」-講談社文芸文庫-より−2

「和訓の発明とは、はつきりと一字で一語を表はす漢字が、形として視覚に訴へて来る著しい性質を、素早く捕へて、これに同じ意味合を表す日本語を連結する事だつた。これが為に漢字は、わが国に渡来して、文字としてのその本来の性格を変へて了つた。漢字の形は保存しながら、実質的には、日本文字と化したのである。この事は先づ、語の実質を成してゐる体言と用言の語幹との上に行はれ、やがて語の文法的構造の表記を、漢字の表音生の利用で補ふ、さういふ道を行く事になる。」 −小林秀雄本居宣長

ここには訓読について明晰かつ判明に書かれていることが三つある。
一つは、和訓の発明がいかに離れ業であったかについてである。文字というものを初めて経験した上代の日本人は、その「著しい性質を、素早く捕へて、これに同じ意味合を表す日本語を連結する」ことによって、外来の文字がもつ「著しい性質」を和らげ隠蔽した。それはいわば、外傷を被りながら同時にこれを消去する放れ業である。

二つめは、和訓の発明によって漢字はその「形は保存しながら、実質的には、日本文字と化した」と言うことである。和訓の発明は漢字漢文の読み方である以前に、それ自体が「日本文字」の発明であった。訓読は読むための考案ではなく、書くための考案だったのである。

三つめは、漢字の形をそのまま保存しながら実質的にはこれを「日本文字」に転ずるという放れ業において訓読というプログラムがいかに作動していたか、またそのプログラムがいかに和「文」のシステムを形成していったか、その経緯についてである。小林によれば、放れ業は、まず体言と用言の語幹と上に行われ、やがて語の文法的構造の表記を、漢字の表音性の利用で補うという経緯をたどって、今日、書き下し文として知られるものに似た原型的な和「文」を形成していったのである。


―山頭火の一句― 行乞記再び -43-
2月4日、曇、雨、長崎見物、今夜も十返花居で。‥

夜は句会、敦之、朝雄二氏来会、ほんたうに親しみのある句会だつた、散会は12時近くなり、それからまだ話したり書いたりして、ぐつすり眠つた、よい一日よい一夜だつた。

友へのたよりに、−長崎よいとこ、まことによいところであります、ことにおなじ道をゆくもののありがたさ、あたたかい友に案内されて、長崎のよいところばかりを味はせていただいております、今日は唐寺を巡拝して、そしてまた天主堂に礼拝しました、あすは山へ海へ、等々、私には過ぎたモテナシであります、プルプロを越えた生活とでもいひませうか。−

※表題句の外、5句を記す

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Photo/唐寺の多い長崎、四大唐寺と称されるなかの最古の興福寺

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Photo/大浦天主堂

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Photo/ステンドグラスに映える天主堂内部

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