すつかり剥げて布袋は笑ひつヾけてゐる

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−表象の森− 清代諸家-古代への憧憬-6
石川九楊編「書の宇宙-22」より

最後の書家−趙之謙

書の歴史をずっとながめていくと、明らかに、清代の書の中でも訒石如から書は一変し、その雰囲気を維持しつつ、趙之謙で書は終ったという感を深めないではいられない。「逆入平出」という書法をいわば自動的、機械的な装置に変えた時、書は終ったのである。少なくとも伝統的な意味での書の美質の歴史は終焉した。

金農や鄭燮の書は小刻みに微動し、その力をたえず、対象との関係によって不断に再生し、補っていかざるをえない筆蝕の微分-微粒子的律動-の上に成り立つ。この書法は、三折法、九折法を裏側に貼りつけており、それは、三折法-接触と抵抗と摩擦と抉別-との相剋として出現し、筆蝕の微分をやめれば、いつでも三折法が顔を出す。これに対して、逆入平出においては、この装置そのものが、不可避に筆蝕の微分をオートマティックに発生させる。したがって、そこに表われる微分筆蝕は行き過ぎた機械化であり、歴史的累乗としての三折法との相剋を欠いた筆法ゆえに、安定し、乱れが少なく、それゆえいつでも一定の画一的な結果をもたらすが、それはいわば小細工にすぎず、袋小路へと迷い込むことになる。

・趙之謙-Chyoshiken-「楷書五言聯」

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/駭獣逸我右。/飢鷹興人前。


―山頭火の一句― 行乞記再び -44-
2月5日、晴、少しばかり寒くなつた。

朝酒をひつかけて出かける、今日は二人で山へ登らうといふのである、ノンキな事だ、ゼイタクな事だ、十返花君は水筒二つを-一つは酒、一つは茶-、私は握飯の包を提げてゐる、甑-コシキ-岩へ、そして帰途は敦之、朝雄の両君をも誘ひ合うて金比羅山を越えて浦上の天主堂を参観した、気障な言葉でいへば、まつたく恵まれた一日だつた、ありがたし、ありがたし。

昨日の記、今日の記は後から書く、とりあへず、今日の句として、−
  寒い雲がいそぐ -下山-

※他に句作なし、表題句は2月4日記載の句

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Photo/長崎七高山の一、金比羅山から眺めた長崎港

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Photo/原爆で廃墟と化した浦上天主堂

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Photo/復興成った現在の浦上天主堂

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