解らない言葉の中を通る

Santouka081130025

−日々余話− 法廷という虚構

平成22年(わ)第××××号
被告人 M.M
事件名 自動車運転過失致死傷

第1回公判が、大阪地裁、×××号法廷にて、本日午前10時より開廷された。

法廷という籠の中では
脚色された事実だけが
事実として活きる
所詮
ソ、レ、ダ、ケ、ノ、コ、ト、カ

すでに50歳半ばをすぎた
被告Mの
物言いや態度は
私の知るいつもの
あの素直なMとは
まるで違って
なにかの外圧から
意に染まぬことを
無理強いされた
大きな子どものように
ただ、ふてくされた
ものにしか映らなかった
此処も、また
主戦場には
到底
なりえない、か


―山頭火の一句― 行乞記再び -52-
2月13日

朝の2時間行乞、それから、あちらでたづね、こちらでたづねて、水月円通寺跡の丘に登りついた、麦畑、桑畑、そこに600年のタイムが流れたのだ、やうやくにして大智禅師の墓所を尋ねあてる、石を積みあげて瓦をしいて、堂か、小屋か、ただ楠の一本がゆうぜんと立つてゐる、円通寺再興といふ岩戸山厳吼庵に詣でる、ナマクサ、ナマクサ、ナマクサマンダー。‥

歩いてゐるうちにもう口ノ津だ、口ノ津は昔風の港町らしく、ちんまりとまとまつてゐる、ちょんびり行乞、朝日屋、同宿は、鮮人の櫛売二人、若い方には好感が持てた。
よくのんでねた。<追記>−玉峰寺で話す、−禅寺に禅なし、心細いではありませんか。
 自戒、焼酎は一杯でやめるべし
    酒は三杯をかさねるべからず

歩いてゐるうちに、だんだん言葉が解らなくなつた、ふるさと遠し、−柄にもなく少々センチになる。
今日は5里歩いた、何としても歩くことはメシヤだよ、老へんろさんと妥協して片側づつ歩いたが、やつぱりよかつた、よい山、よい海、よい人、十分々々。
原城跡を見て歩けなかつたのは残念だつた。

※表題句の外、句作なし

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Photo/岩戸山の麓にある厳吼寺

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Photo/厳吼寺境内の庭

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Photo/玉峰寺は、嘗て切支丹の教会があり、また島原の乱では切支丹らの刑場ともなった地に建てられた曹洞宗の禅寺である

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