大海を汲みあげては洗ふ

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−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-5-
石川九楊編「書の宇宙-24」より

明治近代化の書の中で、もっとも注目すべきは、一連の幕末維新期の唐様+日本型墨蹟型の系譜に出発しながらも、二度にわたる渡清によって六朝書の影響を受け、たんにそれらを新しい書体と受けとめるだけではなく、自らの思想や政治行動と連動して、時代と自己のスタイル表現として見事に開花させた副島種臣の書である。

副島種臣「願正寺上人追弔詩.二首」

幕末に佐賀藩の志士たちが屡々会合した願正寺の裁松上人の死を弔った二輻。天地340?、幅140?、全紙を横にして5枚つないだほどの超大作。書風凄絶なる副島種臣初期の作。

ほとんど構成に意を払わないかのごとく無法に書き綴りながら、有無を言わさぬ作品に仕上げてしまう力量には舌を巻く。

たとえば<佐>のイ部から旁につながる細い連綿はタブーであり、また旁の<左>部で筆尖が乱れ割れたままで紙に接する書法もタブーである。いたるところでタブーを犯しながら、その破戒・破法性最大の見所となるという逆説の劇の上に、この作は成立している。

全体の律動が右上から左下へ向かい、また左上から右下に向かう<×>動きに主律されていることは見逃せない。

2407

/我識上人有幾年。勤王大
/義早昭然。一朝事遂君瞑
/目。獨是眼遠京洛烟。
/裁松上人三年法會追弔。副島種臣拝。

2408

/佐賀城上雪紛ゝ。願正寺邊
/鐘響分。命海願正寺
/不見。爲注歌氏斯文。
/願正寺弔裁松上人。副島種臣拝。


―山頭火の一句― 行乞記再び -53-
2月14日、曇、晴、行程5里、有家町、幸福屋

昨夜はラヂオ、今夜はチクオンキ、明日はコト、−が聴けますか。
大きな榕樹-アコオ-がそここヽにあった、島原らしいと思ふ、たしかに島原らしい。<追記>−幸福屋といふ屋号はおもしろい。

同宿は坊主と山伏、前者は少々誇大妄想狂らしい、後者のヨタ話も痛快だつた−剣山の話、山中生活の自由、山葵、岩魚、焼塩、鉄汁。‥

※句作なし、表題句は2月7日の句

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Photo/有明海に囲まれ難攻不落の天然の要塞だった原城跡、南島原市南有馬町

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Photo/西有家の吉利支丹墓碑、碑文はポルトガル式綴字法のローマ字。有家町には現在53基のキリシタン墓碑が確認されている。

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Photo/道路端や石垣、畑の中などに散在していた17基の桜馬場墓碑群を集めた有家切支丹公園/font>

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