こゝに住みたい水をのむ

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−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-8-
石川九楊編「書の宇宙-24」より

副島種臣「積翠堂」
驚くべし、恐るべし、副島種臣
これは夏目漱石の伊豆修善寺の大患の舞台として知られる旅館菊屋のために揮毫した、明治17年の作。
篆刻は書の一種だが、方形の文字の字間をびっしりと詰めたこの作は、巨大な篆刻と言ってもさしつかえない。紙面を縦に5等分すると。<積><翠><種臣>がそれぞれ5分の1ずつ、残りの5分の2のスペースを<堂>の一字が占める。そこには、篆書体、隷書体、行書体の表現が入り交じり、書に関する副島のすべての力量が結集されている。

驚くほど巨大な企みと表現をもつ書だが、それでもまだ文字の規範に従うだけでは盛りきれないエネルギーは、左回転の大回りの起筆や、瘤状の字画や、強い摩擦の筆蝕として出現している。二本の筆を手にして書いたのも、太い筆が身近になかったというよりも、一本では足りない表現の質量がそれを促したのであろう。

構成、とりわけ余白の白を強調する<堂>の上部は卓抜。一部欠画しているにもかかわらず、あたかも書かれているかのごとくに見えるという、策計に満ちた作でもある。

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/積翠堂。種臣

・ 々 「蘭」-ジンラン-
おびただしい滲みが筆画の周囲に漏れ出し、筆蝕の跡さえ辿ることの難しい作だが、墨を大量に含んだ筆をゆったりと動かして、滲んで滲んで、滲み抜いた書を意図的に書いている−その滲みは何を象徴するのか。

薩長藩閥官僚たちによって理想から遠ざかり、泥土のごとく踏みにじられ消えてゆく革命の精神をか、あるいは、それらに対する副島種臣の涸れることなき涙をか。<蘭>の門部の第2画は、世界を睨みつける目玉のようでもある。

書の手法を駆使して、時代の姿と時代への想いを描きえたところに、書家・副島種臣の書の巨大さがある。

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/蘭。副島種臣


―山頭火の一句― 行乞記再び -60-
2月27日、風雪、行程7里、多良-佐賀県-、布袋屋

キチガイ日和だつた、照つたり降つたり、雪、雨、風。‥
第22番の竹崎観音-平井坊-へ参拝。

郷はお天気が悪くて道は悪かつたけれど、風景はよかつた、山も海も、そして人も。
此宿はよい、まぐれあたりのよさだつた。

※表題句のみ

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Photo/長崎と佐賀の県境、多良山系の中央に位置する多良岳-996m-や経ヶ岳-1076m-は、古くから山岳霊場の地として知られる。

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Photo/その多良岳の登山道に見られる奇岩

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Photo/多良の駅-現在の太良町-付近から眺めた有明の海

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Photo/竹崎観音-竹崎山観世音寺-の修正会鬼祭は奇祭としても名高い

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Photo/竹崎の漁港から竹崎城を望む

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