ここまでを来し水のんで去る

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−山頭火の一句−

句の詞書に「平泉にて」とあり。
昭和11年6月、逢うべく人に逢いたいとばかり急遽其中庵をあとにして仙台へと旅立った。その友らの歓待に、松島、瑞巌寺などを逍遙し、雨降る26日、平泉へと足を伸ばし、毛越寺中尊寺を訪れている。

この数日後、山頭火はまたしても酒に溺れ、びとい失調に陥ってしまう。友らの眼を遁れ、湯治客の浴衣を着たきりのままに、夜汽車に飛び乗るようにして福井へ。無惨な姿で市中彷徨の末、永平寺の山門の前に立った、という。


―世間虚仮― 一炊の夢

京都の中京区、木屋町通り二条を下るとすぐの西側、鴨川に沿って伏見へと流れる高瀬川のはじまるところ、「一之舟入」の石碑がある。その下の水面、船溜り跡近くには高瀬舟が一艘、往時を偲ぶがごとく浮かんでいる。

慶長19(1614)年、角倉了以が開いた高瀬川は、京都市中と伏見を結び物資輸送の幹線となって、明治を経て大正に至るまでその役を担ったという。
石碑を挟んで東側の角倉家別邸跡は、明治以後その所有者は変遷すれど今に遺され、現在は「がんこ高瀬川二条苑」となっている。

日頃、食の贅などとんと縁のない暮しに、あろうことか昨夕は家族打ち揃ってこの地の川床料理に舌鼓を打ちすっかり堪能させていただいた。谷口夫妻よりの御招ばれである。

一行は幼な児を含めて6人、三条京阪を降りて、夕刻近いとはいえまだ明るい河原をそぞろ歩いたのも一興。生憎と今にも降り出しそうな空模様で、鴨川に吹く風は些か湿っぽかったが、それでも涼しさを満喫、三条の橋から二条までは意外に距離がある。

頃もよしと、エスコート役の谷口旦那に導かれつつ件の館の玄関を入る。広い客間を横目に山水の庭へと出る。小堀遠州作庭も一部に残すというものだが、侘び寂びの趣味とはとおく、緑と石と水の、天下の豪商ならではの贅を尽くした風流というべきか、これはこれで一見の価値なしとは云えぬ。

川床はさすがに涼味満点、酒を呑まぬメンバーのなかで独り私だけがほろ酔いとなり、なんだか申し訳ない心地、今宵は是れ一炊の夢の如し、か。

帰路、地下鉄を降りて地上に出れば雨、深夜に至って雨は激しく煩いほどに音立てていた。


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