うき人を枳殻垣よりくゞらせん

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―世間虚仮― イラク油田外資参入と豪鉄鉱石96.5%値上げ

・72年にサダム・フセインが国有化して以来、排除されてきた外資メジャーによる油田開発がとうとう規制解除されるという。イラク戦争からすでに5年、国内の産油量は戦争前の日量250万バレルにまでほぼ回復しているが、外資参入で長期的には倍増レベルにまで増産をめざすもの。

アメリカのイラク侵攻は石油利権獲得のために違いないと受けとめている人々が世の中には意外と多くいる筈だが、そういった視点からみれば「ヤッパリネ」といった感を抱くにちがいない報道記事。

新日鐵など国内鉄鋼大手が豪州産鉄鉱石の輸入価格を07年比96.5%値上げで合意したという。
原材料としての鉄鉱石には塊状のものと粉状のものとがあり、塊状鉱石が96.5%、粉状鉱石が79.8%の値上げだというのである。
これより先、ブラジル産鉄鉱石の粉状鉱石を前年比65%値上げでこの2月合意されており、豪州産の大幅値上げへの波及は必至と見られていたというが、それにしても驚きの数値。豪州産は国内輸入の6割を占めるというし、この5.6年このような大幅値上げが続いているというから、国内基幹産業に与える打撃は計り知れないものがあろう。
さらに逼迫すること必至なのは基幹産業に連なる末端の中小零細企業だ。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」−25

   隣をかりて車引こむ  

  うき人を枳殻垣よりくゞらせん  芭蕉

枳殻-きこく-

次男曰く、「隣をかりて車引こむ」という作りは、それ自体は恋ではない。含に付入って恋句-二句恋-に変えたのは、芭蕉の作りである。

もっとも、凡兆に起情の意図があったことは去来文にも明らかだから、老女の病気見舞にかこつけた男の好心から一見なよなよとしたさまの女の生活の智慧まで、イメージの幅を生む作りのどこからどこまでが凡兆の計算で、どの部分が芭蕉-次句-の解釈か、ということは当人たちにでも聞いてみなければ判らない。

たぶん「車引こむ」のは源氏を俤にした男の行為だというところまでが、凡兆の一応の守備範囲だったろうと思う。それを女の智慧に読替えて、夕顔の恋を当世風に成就させたのは、芭蕉の工夫ではあるまいか。

前句が男の好心で挑めば、迎えてただちに相手の女の手管を付けてもよさそうに思われるところを、それは駄目押になると見抜いて、もう一人の女-六条御息所-の妬心を持出してきて向かわせたのは理由のあることだ。連想のぎりぎりまで、前句の解釈を拡げたからである。

「うき人を枳殻垣よりくゞらせん」には、そう易々とあの女の垣根を-むろん自分の垣根もである-くぐらせてなるものか、と云うもう一人の女の怨念が十二分に現れている。つれて、片方のなよなよとした姿はいやが上にも焙り出される仕組だ。

因みに、先の話のあと源氏は何食わぬ顔をして六条に通う。春隣というものは、すぐそこにありながら、なかなか思うようには手に入れられぬ、という三者三様の呟きが聞こえてきそうな作りである。

ここまで読んでくると、「枳殻垣」取出しは、京連衆-京文化-に寄せる芭蕉の深甚なるもてなしだったと云うことがよくわかる。六条枳殻邸は、東本願寺法主の別邸として知られた京名所。平安時代源融の河原院があり、その旧址を寛永16(1639)年家光が東本願寺に与え、承応2(1653)年に宣如上人が石川丈山に造園させたという。丈山に心を寄せた芭蕉が、それを知らなかった筈はない。

その六条がたまたま、物語ゆかりの土地であることがどうやら句興の下地になったらしい。そう思って読むと「枳穀垣」の句は、作そのものもうまいが凡兆の前句を奪って女二人の凄まじい絡みとしたところがとりわけ精彩を放つ。

むろん二句は、そのつもりになれば王朝草子の俤など捨てても当世滑稽咄としても読めるだろう。そう読ませる狙いは作者たちに先刻あった筈で、これは連歌にはなかった俳諧連句の面白さである。夕顔はじつはしたたかな女だった、というところまで芭蕉は話のおまけをつけているのかもしれぬ。いや、つけていない筈はない。そういう夕顔像は俳諧師ででもなければ思いつかぬ解釈である、と。


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