悲しみ澄みて煙まつすぐに昇る

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―山頭火の一句―

先句と同様「層雲」大正9年1月号所収。

山頭火は疲れていた、肉体ばかりではなく神経もまた‥。

大正9年のいつ頃か、妻サキノの実家から、彼の下宿に一通の手紙が届いた。
サキノの実兄からのもので、内容は、彼の不行跡を厳しく咎める文面。さらに離婚届の用紙が同封されていた。

後年、離婚の一件について妻サキノは、
「里の兄が早うから、種田はぐうたらで、らちがあかぬ。あんな奴と一緒にいると、ろくなことはない。縁を切って戻れ戻れとやかましく云うていました。熊本へ来て4年ばかり経ったとき、山頭火は東京から兄の書いた離婚届を郵便で送ってきました。見ると印を捺しちょるでしょう。そうすると山頭火も兄と同じ考えだなと思って、私は印を捺して実家の佐藤へ返しました。あとで山頭火が戻ってきたときにきいてみました。やっぱり縁を切る気だったのですかと。なあに兄さんがやかましく捺せ捺せというてくるので、わしは捺しちょいたが、お前さえ捺さねば、届にならぬからのんたというではありませんか。私は、どきっとしましてね」と、ことの経緯を語る。

届出の日付は、大正9年11月11日であった。


―四方のたより― ちょっと二日酔い

めずらしく昨夜は些か飲みすぎたか、目醒めもすっきりせず、気怠く重い。

思考停止状態でぼうっとしていたら、仕事に出ている連合い殿からEメール。朝っぱらから何だよと開けてみれば、「Happy Birthday」だと。
そういえば今日は7月17日だったっけ、己もはや御年64歳になりたもうた訳だ。

昨夜は、デカルコマリィのStreet-Performanceを観るべく、夕刻から幼い娘を連れて京橋へと出かけた。
連合い殿は仕事帰りの足で現地へ直行。此方が先に着くつもりで出たのだが、どっこい子連れの足は遅い、彼女のほうが先着していた。

月の第1水曜と第3水曜の夜、もう何年も続けているというPerformanceはすでに始まっていた。演奏のMemberも居るのかと思えば、音無しの構え、そうでなくとも街頭にはさまざま音が溢れている、それが伴奏というわけだ。

今宵はCASOでの「青空展」打上げの宴をというふれこみだったからか、演技は15分ほどで早々と手仕舞い、集った連中は飲み会の酒場へと移動する。

8時頃から延々3時間ほども続いたか、いつのまにか宴席は20名ほどにもなり、てんでバラバラ勝手トークに花咲いて、ビールばかりだがけっこう飲んだとみえる。


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