波の音しぐれて暗し

Kamizawa01

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月28日の稿に
10月28日、曇、雨、行程3里、富高町、成美屋

おぼつかない空模様である、そしてだいぶ冷える、もう単衣ではやりきれなくなつた、君がなさけの袷を着ましよ!
行乞には早すぎるので-四国ではなんぼ早くてもかまはない、早くなければいただけない、同行が多いから-、紅足馬さんから貰つてきた名家俳句集を読む、惟然坊句集も面白くないことはないけれど、隠者型にはまつているのが鼻につく、やつぱり良寛和尚の方がより楽しめる。-略-

ずいぶん降つた、どしや降りだ、雷鳴さへ加はつて電灯も消えてしまつた、幸にして同宿の老遍路さんが好人物だつたので、いろいろの事を話しつづけた、同行の話といふものは-或る意味に於て-、面白い。-略-

※表題句の外、10句を記す

―表象の森− 師七回忌に何を幕引く

  あの山の名が知りたい
  不意にそう思った
  名を知れば
  山と一つになれる
  草の名を
  知りたかったように

この短い詩は、神澤和夫師が逝かれた、その年の、年詞に綴られていたものだ。
師の七回忌にあたり、所縁の者たちで「アンティゴネー」の上演会を行い、偲ぶ集いとしようと計画があるということについては、すでに先に触れている。

昨日、まさに師の命日にあたる日、学園前の住宅街のはずれ、竹林にかこまれた小高い山中、師の自宅兼稽古場に集ったのは100名近くに及んだであろうか。

長男和明氏による訳・構成の舞踊劇とされた「アンティゴネー」は、意外にも演劇性の勝った世界であった。客席の中央に座して上演を見守っていた河東けいさん、さらにヒロインのアンティゴネーやクレオンを演じた俳優が関西芸術座所属であったことを符号するに、和明−照明の新田三郎ラインから河東けいさんの協力に与ったものと覗えた。

他に、劇団いかるがから2名、シアター生駒から1名。昨今、地域における劇団づくりがかなり盛んだが、これらも和明氏関わりのサークルかと思われるが、如何せん、その演技はまだまだ未熟といわざるを得ず、関芸の二人もまた、ギリシア悲劇を演じるには、コトバの立つ力に乏しく迫力不足、アンサンブルにおいても未だしの感で、総体に付焼刃の準備不足か。

踊る人たちの構成もまたキャリアの不均衡が目立つのは些か悩ましく、もっと陣容を整えられようものを、どんな基準で声をかけていったものか、その選択に疑問は残る。

神澤師の遺産、その有意の人脈を相応に活かしたなら、この程度で収まろう筈はあるまいに、全体の印象を一口でいうならば、当事者たる和明氏と茂子夫人、両者のこの取組が恣意性に流れてしまった結果ではなかったか、と思われる。

それにしても、客として立ち会った人々、ここでも私の知る人はずいぶんと少なかった。伊藤茂、升田光信、藤井章、千葉綾子、渡辺ルネ、奥田房子、金子康子、それに中原喜郎夫人の絹代さん、昔懐かしい松田春子さんと松田友絵さんの両松田、めぼしいところでそんなところ。裏方として支えていたのが、矢野賢三、山城武、西野秀樹。なにしろ踊った人々13人の内、私の知るのは、指村崇と高木雅子、それに高山明美と浜口慶子と神原栄子-旧姓・梯-のたった5人だ。

客席においてもまた、主催側の恣意的な選別がおおいに働いてしまっているわけだが、古くから研究所に拠り来り、神澤の舞踊を支えてきた多くの戦士たちがこの場に臨み得ぬことの、悲しい寂寥感に襲われては、胸中侘びしい風が吹き抜ける。

今日この日、ここにおいて、神澤師が生き、茂子夫人が生き、そしてわれわれ、おそらくは数百に及ぶ無名の仲間たちが生きてきた神澤研究所、稽古場の灯は、この現実の世界に潰えて、はっきりと幕を閉じたのだ。

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