雪の法衣の重うなる

Santouka081130031

−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-9-
石川九楊編「書の宇宙-24」より

日下部鳴鶴「大久保公神道碑」
書道界でいう明治の三筆の一人、日下部鳴鶴-1838〜1922-の代表作。難死した大久保利通を祭る碑文。二本の近代以降の一般の書字のモデルとなった作である。
一点一画、否、起筆から収筆まで毫も揺るぎなく書かれ、張り詰めた緊張感をみなぎらせている。<奉>の横画に見られるように、起筆が強い三角形で描き出されているにもかかわらず、収筆部がこれに対応した三角形で書かれることがないのは、「トン・スー」の二折法で書かれた文字を刻した六朝時代の石刻文字をモデルにしているから。横画が長く書かれ、かつ相互の間隔が詰まり、字形も菱形よりも田形寄りに描かれているのも、同じ理由からだ。

2415

/詔曰。忠純許/國。策鴻圖於/復古。公誠奉/君。賛不績於/(維新。‥‥)

・ 々 「八十寿筵詩」
同じく日下部鳴鶴が書いた隷書体の佳作。大正6年、88歳の時の力作。先の作のような、みなぎりあふれる緊張感はないが、整然としたたたずまいで端正に書かれている。
点画が小刻みに波打つような姿をしているが、これは近代的な無限微分筆蝕に従って書かれているから。
表現者副島種臣や、近代的芸術家・中村梧竹とは異なり、近代日本の書法基準を作り上げた書道家の書である。

2416

/青山一角避紅塵。不汎家湖把/釣綸。頤性半仙期大耋。開筵立/夏卜佳辰。榴華多子如爲壽。竹/祖添孫自作鄰。曰薫風清景/好稱觴欣笑共同人


―山頭火の一句― 行乞記再び -61-
2月28日、晴、曇、雪、風、行程5里、鹿島町、まるや

毎日シケる、けふも雪中行乞、つらいことはつらいけれど張合があつて、かへつてよろしい。
浜町行乞、悪道日本一といつてはいひすぎるだらうが、めづらしいぬかるみである、店舗の戸は泥だらけ、通行人も泥だらけになる、地下足袋のゴムがだんぶり泥の中へはまりこむのだからやりきれない。
同時に、此地方は造酒屋の多いことも多い、したがつて酒は安い、我党の土地だ。-略-

生きるとは味ふことだ、酒は酒を味ふことによって酒も生き人も生きる、しみじみ飯を味ふことが飯をたべることだ、彼女を抱きしめて女が解るといふものだ。

※表題句には「雪中行乞」と註あり、外3句を記す

やはり大地自然にあって、その厳しさや、また逆の穏やかな安らぎが、佳句を生む。
人の親切に束の間感激しては、酒に溺れ退嬰ぶりを示していた数日前とは打って変わったかのような昨日今日の姿、とみえる。

山頭火が触れているように、現在の鹿島市においても酒造業が多く、長崎鉄道の肥前浜駅界隈の、鎌倉・室町の中世から港町・宿場町として栄えた肥前浜宿には、酒蔵通りなど歴史的街並みが残っている。

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Photo/肥前浜宿の酒蔵通り-1

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Photo/肥前浜宿の酒蔵通り-2

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Photo/肥前浜宿の酒蔵通り-3、左側2軒目の木造家屋は昭和初めの頃からの郵便局


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