焼跡のしづかにも雪のふりつもる

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−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-10-
石川九楊編「書の宇宙-24」より

富岡鉄斎「祝寿聯」
南画家富岡鉄斎-1836〜1924-の書。縦画よりも横画を太く、しかも字形の形を縦長に構成した隷書体風の文字は、清代の金農の書を典拠とする。無限微動という新しい筆蝕法とともに誕生した金農の特異な文字形象を、形象優位に学んでいる。
小刻みに正確に微動し、端正に文字を作り上げていく金農とは異なり、富岡鉄斎の微動は強弱の震動をもっている。おそらくそれが、苛烈に政治的な中国の文人と、ほとんど政治と関わりのない日本の文人との違いであろう。強弱を伴った<壽>の字姿が、この書を象徴する。

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/身是西方無量佛/壽如南極老人星

・ 々 「八言二句」
前作とは打って変わった、いかにも富岡鉄斎らしい、きめ細かで、かつ強引無法な、筆蝕優先の行書体の書の佳作。幕末維新期の臭うような書の系譜上の作であるが、また一味異なる。
たとえば<我><一>などの起筆は、いかにも無造作、その無造作な起筆に始まり、横画は「覆」、縦画は「直」。それ以上に、筆尖を開いた筆毫は紙面上を大きく大胆に動きまわる。それは文字を書いているというよりも、画筆が紙面を動きまわっているという趣。富岡が文字を描き出していることは、<安>の揺れ動く冠部や、起・送・収筆の区別の定かでない<榮>が象徴し、この作の気宇の大きさは<歸>の最終画の縦画およびハネの豪快な書きぷりに見られる。

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/我一心歸命盡/十方。無碍光尊/即安楽土。

―山頭火の一句― 行乞記再び -62-
2月29日、けふも雪と風だ、行程1里、廻里、橋口屋

朝、裕徳院稲荷神社へ参拝、九州では宮地神社に次ぐ流行神だらう、鹿島から1里、自動車が間断なく通うてゐる、山を抱いて程よくまとまつた堂宇、石段、商売的雰囲気に包まれてゐるのはやむをえないが、猿を飼うたり、諸鳥を檻に閉ぢこめてゐるのは感心しない、但し放ち飼の鶏は悪くない、11時から4時まで鹿島町行乞、自他共にいけないと感じたことも二、三あった。

興教大師御誕生地御誕生院、また黄檗宗支所並明寺などがあつた。
この宿はほんたうによい、何よりもしんせつで、ていねいなのがうれしい、賄もよい、部屋もよい、夜具もよい、−しかも一室一灯一鉢一人だ。

心の友に、−我昔所造諸惑業、皆由無始貪瞋痴、従身口意之生、一切我今皆懺悔、ここにまた私は懺悔文を書きつけます、雪が−雪のつめたさよりもそのあたたかさが私を眼醒ましてくれました、私は今、身心を新たにして自他を省察してをります。‥

不眠と感傷、その間には密接な関係がある、私は今夜もまた不眠で感傷に陥つた。

※句作なし、表題句は2月28日付記載の句

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Photo/裕徳院稲荷神社の楼門

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Photo/ライトアツプに映える裕徳院稲荷の本殿

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Photo/12月8日秋季大祭行事のおひたき神事風景


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